『DOLL』の功罪 - 『DOLL』の言うことをすぐ信じ込む、こんな日本のパンクに誰がした
Japanese punk is ruled by the fascism called "Super Head Magazine DOLL"
The Japanese media are very good at reporting on foreign issues - Super Head Magazine DOLL, for example, makes excellent discographies about foreign bands - but when it comes to our own domestic issues, their coverage is not so good. I think it's maybe a characteristic of Japanese media. Even local media in Japan isn't good at criticizing their own areas. Japanese media tend to hesitate in covering critical issues on their own doorstep. Absolutely, The media must be willing to pursue the truth, because they are the public's eyes and ears. I was worried that the Super Head Magazine would become a PR machine for those bands and labels. But the Super Head Magazine's dictatorship now in place it's even worse than that...
・・・私は、この年、田中角栄と福田赳夫との間で展開されていたポスト佐藤栄作の自民党総裁争い、いわゆる「角福戦争」の取材にぶち込まれていた。今でもそうだが、ことに当時は、週刊誌が政治ネタで取材するのは困難を極めた。朝日・毎日などの五大紙と共同などの大手通信社が「記者クラブ」なるものを結成していて、政府・官庁・警察などからの情報を独占する。週刊誌はそこから排除されている。そうなると、新聞社系はまだいいが、出版社系週刊誌は情報から疎外されて、取材は難渋するわけである。早い話が官邸にも入れやしないのだ。
この記者クラブという制度は最近ようやく問題にされてきたが、単にその排他性・閉鎖性がいけないというだけではない。これによって、報道機関が権力側の広報活動の下請け機関になってしまいかねない危険性がある。権力は情報の独占的供与と引き換えに、記者クラブを通じて様々な情報操作をしようとする。ところが、記者クラブ制の下にあれば黙っていてもある程度の情報が取れる報道機関は、これに抗し得ない。次第に取材範囲を狭められ、また自主規制していくことになる。
例えば、警察の取材でも、かつては記者が取調室まで入れたそうだ。そこまで食い込んで取材をし得たが、今は望むべくもない。かくて各紙、どうでもいい周辺や細部では違いを競いながらも、本筋では見事なまでに画一的な報道しかできなくなる。しかも、一方で、次第に、取材、報道というものがそういうものだと思い込むようになる。そうした過程が進んできた現在、その弊害は極まっている。このままでは報道の自由の安楽死になりかねない状況なのではないか。・・・
『突破者 戦後史の陰を駆け抜けた50年(上)』 宮崎学 (著)より
Note: 記者クラブを『DOLL』に置き換えて考えてみてください。
・・・議会は国会と呼ばれ、衆議院と参議院からなっている。戦後は両院で圧倒的な多数を占めることになった自由民主党(LDP)が、ずっと政治を牛耳ってきた。事実上、政界は一党支配であった。
自由民主党は、神聖ローマ帝国に似ていると言われる。だが、この党は神聖でもないし、ローマ的でもないし、帝国でもない。自由(リベラル)でもない(実際は右翼的)し、民主的でもない(紫煙が立ちこめる部屋で政治を動かす影の実力者が支配している)し、政党としての体裁すらなしていない。もともとは自由党と民主党というふたつの政党が合併したものだが、現在では、つばぜりあいを演じている5つから6つの派閥のゆるやかな同盟関係からなっている・・・
自由民主党の一党支配が長くつづいたにもかかわらず、昨今の混乱状態に陥る以前から、日本の政治には継続性というものがまったくなかった。1945年から1996年までの51年間に、日本の首相は24人を数える。ひとりにつき2.2年の在任期間である。そのことは日本の政界の体質をよく表している。ようするに、首相の地位につくことは、政権がたらいまわしされる組織のなかで、ほかにいくつもある権力の座のひとつにつくにすぎないのである。日本では、なんでもそうだが、力をもつのは組織であって、個人は弱い存在にすぎない。・・・
『日本人のまっかなホント』
ジョナサン・ライス / 浜矩子 / 嘉治佐保子 (著),
小林宏明 (翻訳)より
・・・労働力に対する対価として給料が支払われる。ところが日本の会社の場合、売る労働力以上のものを要求する。単に労働力を売っているのだから、その分お金をくださいよ。本来それだけでいいはずのものだ。ところが会社という組織が一生存在すると思い込んでいる。
「会社組織そのものを維持していけば、みんなが幸せになれる」という幻想がバラまかれ、その会社を維持していくために人間関係が大切なのだという三段論法になる。だから言いたいことも言えない。人に気配りばかり要求する。気配りなんか労働力の対価の中に入っていないのに冗談じゃない。そんなものは人それぞれが持っている気持ちの問題であって、気分が悪ければふて腐れるし、気分がよければ人にやさしくもできる。そんなものを労働力の対価に入れられてたまるか、私はそこまで売りたくないよということだ。サラリーマンというのは所詮、賃金の奴隷になっているだけじゃないかと思っている。だから「会社を辞めたい」という相談者には「辞めろ、辞めろ」と勧めることにしている。それを本気にするヤツもいてずいぶんいろんなヤツを辞めさせてしまった。・・・
『突破論 トラブルを逆手にとれ』 宮崎学 (著)より
「やっと嘘っぱちだったことに気がついて、音楽紙を読むのもやめにした。昔は一字一句を鵜のみにして、あるレコードを買えと書いてあれば、そのとおりにしてたものさ。新聞配達で金を貯めては、クソみたいなものを買わされていたんだ」
ミック・ジョーンズ
『クラッシュ伝説 THE CLASH』
ジョン・トブラー&マイルズ (著), 中江昌彦 (翻訳)より
・・・さらに気になるのは、日本人の国際性のなさである。これは、<内向きの姿勢>と言い換えることも出来る。世界的な経済大国でありながら、日本人は、本当は世界の動きに無関心なのではないのか。それは日本のマスコミの報道姿勢にも、よく現れている。・・・
海外における飛行機事故や火災の時も、「日本人の被害者はいない模様です」と強調する。イギリスのテレビでも、海外での事故や災害の報道に際して、同様なことを言わないわけではない。しかし、それは伝えるべきニュースがあらかた終わった後に、控えめに付け足す程度である。そこに節度の差を感じる。
また、日本の新聞やテレビは、国際的なニュースの量が少ない。これは、イギリスやアメリカの新聞に比べれば、明らかである。・・・
・・・世界といえばまずアメリカのことで、その他の地域への(ヨーロッパも含めて)関心が薄い。日本人の間では、海外旅行が一般化し、衛星放送が普及し、いつも海外に向けて窓を開いているように見える。しかし、本当は、日本人は、日本の利害に直接関係すること以外、あまり関心がないのではないだろうか。
そのような国民性を反映して、国際化社会の先端を走っているかに見える報道機関さえ、きわめて<内向き>になっているのである。<内向き>であれば、外国に向けて、日本を理解してもらうための努力の必要性も感じないし、過去の戦争の責任をあいまいにして恥じるところがない。結果的に、この国際感覚の欠如が、日本人に対する差別を一層助長している。・・・
『イギリス発 私的日本人事情』
渡辺幸一 (著)より
"Find Out" By Supporters
You talking about important disk on the Super Head Magazine
You say "Listen to the disk one million time so good sound"
You think you know many obscure punk, I don't know
I won't what you recommend disk no more soundWhat a dull! Speech on magazine no use it
What a dull! Speech on magazine no use it
Wanna find out greatest sound to meDon't teach anymore!
・・・「テレビはマスメディアとして成長する過程で、とにかく毒とみなされるものを少しずつ排除して、角をどんどん丸くしてきた、僕はそう感じてます」
インタビューの最後に北林は、しみじみとした口調で僕にこう言った。
「・・・娯楽としては間違った方向ではない。しかし表現としては、取り返しのつかない道をもしかしたら歩んできたのかもしれない。少なくとも胸を張れる行為ではない。ひと昔前に比べればテレビのタブーは確実に増殖しているという実感を僕は持ってます。量だけじゃない。質も悪くなっている。
抑えつけたタブーがタブーを再生産している。表現とは本来甘いものじゃない。血だらけになってもやるものだと思うし、特にジャーナリズムの現場にいる人間は、タブーに対してもっと闘う姿勢を見せるべきだと思う。自分はかつてそうしてきたという自負はある。・・・しかし今のテレビには、確かにそれはない。生涯をテレビとともに過ごしてきた自分としてはつらい現実ですが、認めなくてはならんでしょう」・・・
『放送禁止歌』
森達也(著), デーブ・スペクター(監修)より
"Recently the morale of punk fans in this country has seriously declined. There are many reasons for this, but a number of fans complaining about the Super Head Magazine. Therefore, I would like to ask the Super Head Magazine. What criteria are you using to decide band or label good write-ups?"
「最近、我が国のパンクの士気の低下は、目に余るものがあります。その原因はいろいろ考えられますが、多くのファンが、ドールについて不満を唱えています。そこで、私はドールにお聞きしたい。あなた方はいかなる基準で提灯記事を決めているのでしょうか?」
"a system of Japanese punk that is unprecedented in its secrecy and in the lack of public debate surrounding it"
「日本のパンク・システムは、その秘密性とそれをめぐるファンの議論が欠けていることにおいて世界に類をみない」
"The Super Head Magazine's tenacious grip on news has led to a steady decline of interest in punk domestically"
「ドールが情報を牛耳っているせいで、日本人のパンクへの関心はどんどん低下している」
"Fans may spend hours sitting around doing nothing, while waiting for a friendly band or label on the Super Head Magazine to provide them with some scraps of news."
「ファンは何時間も何もせずにぶらぶらして、ドールの仲良しバンドやレーベルが情報の屑を分けてくれるのを待っているだけだ。」
オタクらの言う「パンク」って何なのさ。限定300枚だから早くしないと無くなっちゃうよと脅しつけて何処の馬の骨とも知れないバンドのレコードを消費者に無理矢理買わさせることか? DIYに固執して殻に閉じこもることか? それとも、大手商業誌に魂売って消費者を洗脳させることか?
この国の『DOLL』至上主義には吐き気がする。『DOLL』の独裁政治でファンは腑抜けにされる。日本のパンクが『DOLL』と癒着したときに日本のパンクは死んだ。俺たちは日本のパンク・システムと戦わなきゃならない。『DOLL』みたいな雑誌は提灯記事を書いているだけなんだ。連中が若者に与えられるものなんて、もう何もないのさ。
関連記事:
多事争論
新春対談 2005 Part 2 - 日本のシーンを腐らせる「『DOLL』症候群」
(2005年1月某日)
今のように、さも『DOLL』を頂点とするかのような日本全体のパンクのシステムの失敗は、現今のバンドたちの腐敗やら堕落、そして何よりも発想の欠如がはっきり証左しています。昨今バンドが批判の対象にさらされ、大方のバンドが『DOLL』の片棒を担いでいるから『DOLL』なるものの存在価値が云々されているが、私は、もともとこの雑誌は生理的に嫌いでした。それはともかく、今の『DOLL』というのは実はもうあまり価値も権威も無い存在になりつつあります。つまり、あそこでは、ひらめく人間というのがほとんど育たなくなった。
『DOLL』が日本のパンクを一手に販売していることそのものが非常にグロテスクな現象で、つまり日本のパンクの本質は、あの北朝鮮で未だに続いている独裁政治と同じです。『DOLL』に媚を売るバンドが社会的に価値があるとされ、雑誌に掲載されてきたということに日本のパンクの今日的な限界があるわけです(例えば、S★Cや関西の塩レーベルとか)。
閉塞した時代状況では飽くまで、ひらめく人間が世の中に新しいものをもたらし、着想なり発明なり、そういったものを世に与え進展させていく。
長い間、『DOLL』が独裁政権と言ってもいいくらい日本のパンクを支配してきた。ひたすらに安定政権を目指して、バンド・レーベル・レコード店関係者を取り込んで、中央集権体制というものをガッチリ作り上げ、他者が簡単には政権を取り返せないような形になっている。これで問題になるのは、消費者は、バンド・レーベル・レコード店関係者から与えられた情報・物に単に飛びつくだけ、自分の頭で考えて取捨選択する力がつかないことである。消費者に考える力がなければ、パンクは当然面白く無くなる。
若い人は、未熟で、判断が出来なくて、何にでも飛びついていく。それが若い人のパワーだ。それがあるから生き甲斐がある。しかし、もし世の中全部がそんなであったら、そんな社会はやがて潰れてしまう。成熟した、判断力のある人が、若い人をうまく導いていくから社会は成り立つのである。
日本人がすぐ「一億総何とか」になってしまうのは、全部あなた任せという思想だからなんだね。特に戦後、自分で考えるということを全くしてこなかった。そのために遺伝子から何から、ますます洗脳されやすい体質になってきたような気がする。若い奴が洗脳されやすいっていうのは、その方が楽だからなんだろうな。自分で何も考えなくてすむから。だって、自分の頭を使ってさえいれば、およそ引っかかりそうにないものばかりだよ。
なによりもまず、疑うことから始めなくてはいけない。疑うという言い方がよくなければ、とりあえず自分の頭で考えてみることである。何事も自分で考えずに人様の言うことを鵜呑みにしたり、信じてしまったりするのは、その人が未成熟、はっきり言えばアホだということです。
一般の消費者は、活字に対してすごいコンプレックスを持っているから、『DOLL』に載ったことなら全部正しいもんだと思うから困る。それは『DOLL』の意見だろう、おまえ自身の判断はどうなってるのって訊きたいけど、ほとんどの奴にそんなものはないんだね。
要するに自分の頭で判断しない。レコード屋が言っていた、『DOLL』が言っていた、エセ評論家が言っていたとか、それだけ。なぜか自分で考えて結論を出さない。結局、『DOLL』やエセ評論家の中に、やっぱり消費者をこのままの状態にしておいた方が得な人が一杯いるわけなんだね。要するに、消費者は何も考えない方がいいという人たちが。
日本では、「知らしむべからず、依らしむべからず」という言葉があるそうだ。むろん、これはかつての封建時代の領主たちに普及していた考え方で、言ってみれば一般大衆には、何が公益であるかを知らせる必要は無い。何が公益であるかは指導者が考えて、一般大衆を指導者に頼らせておけという考え方だ。その意味では、この言葉は、現在の『DOLL』の世論操作とまったく同一のものだと言うことができる。
つまり、何事も「お上」のいう通りにしていれば間違いないとでも言うような、日本の精神文化が、日本のパンクを『DOLL』の独裁政治に変えてしまったのである。言い換えれば、日本のパンクがパンクになる本当の条件とは、横並びを重んじてリスクを背負うことはしたがらないという、従来の日本人の、いささか行き過ぎた集団主義が改められることではないだろうか。
年端のいかない子供たちに多数決で決めさせてみな。かならず勢いのいいバカなガキがいて、「Skrewdriverはカッコイイ」とか「神風・日の丸・大和魂」なんて言い出す。それにみんながバンザイしたらどうすんの。十人いたら、ほとんどバカなのは間違い無いわけだから、結局とんでもない意見に動かされてしまう。そういう意見が功を奏してきて、今の日本は、少数意見が、バカな大多数の意見に駆逐される世の中になってしまった。
四面を海に囲まれ、国境の無い単一民族で、国際色の少ない国で、他国の侵略を受けにくいことや、どことも国境を接していない国の持つ特性かと思います。箱の中に砂を入れて、こっちから風が吹いたらサーッと流れていくような怖さを感じますね。
日本のような島国で、外国人の入国を厳しくコントロールすれば、単一民族の閉鎖社会は容易に維持できる。しかも、日本人社会は集団行動優先、出る杭は打たれる軍隊式社会だから、そこに暮らす人間は概して均質の、いわゆる「平均的日本人」となる。
それにしても、ちゃんとした評論家がいなくなった。それこそ、日本の音楽ジャーナリズムも滅びてしまったんだろうな。いい批評の無い世界は潰れるというけど、日本のパンクはもうそれで潰れているね。評論家と呼ばれる人たちが、悪代官のような感じでね。バンドが、下手すると一般じゃなくて評論家に受ければいいという姿勢でやっている。小さなムラ社会みたいな、セコイところで勝負しているから、いいバンドも何も生まれるはずがないんだ。
それに、今は金が絡むから困るんだよ。金の集まるところに不正はつきものである。そして、金の無いところには、それと知りつつ不正を利用しようとする輩が後を絶たない。音楽雑誌の編集部に金を渡すと特集記事を組んでくれる。「○○シティ・ハードコア」「○○レーベル特集」「○○レコード店の紹介」とか、ちょうちん記事が並ぶ。それで小遣い稼ぎする奴もいるし、ほんと××同様腐り切っている。だから評論家が、ちょうちん記事を書いてワーッと盛り上げると、いいレコードだと思ってみんな買いに行く。それをつまんないと言ったら、才能が無いとか、頭悪いんじゃないかと言われるのが嫌なんだね。
MRRとか見てても外国の場合はさ、バカそうな奴でも、いっぱしのことをちゃんと言ってるんだよね。日本ほど立派な顔した大人がバカなこと言う国はないよ。向こうには字を読めない人だっていっぱいいるけど、ちゃんとした個人の生き方みたいなのが感性でわかるんだよね。それで、その個人を守るために団結したりするんだけれど、日本はそうじゃなくて団結しなきゃいけない時にはしないで、しなくていいとこで団結してる。
だが、日本のファンにはパンクに関する発言権が与えられていない。彼らは言うなれば、無視された消費者なのである。「お金を払ってくれてありがとう。じゃあ帰ってくれ」というのが、『DOLL』の態度だ。日本のファンは、パンクに携わる人々から、レッドカードを提示されている。彼らはファンが大事だというかもしれないが、実際に重要視されているのは金だけである。
もし『DOLL』が、自分のやりたい事がいつも通るので、他者にひっくり返されるという心配をしなくてもいい、どんな努力をしなくても、自分たちの言う通りになるんだと考えて、実際にそうなるとしたら、日本のパンクというものは途端に面白く無くなってしまう。
『DOLL』が上手くやれないのだったら、私達が代わりにやりましょうというインターネットがあることで、言い方を変えれば、下手をすると政権をインターネットに持って行かれるかもしれない状況の中で、消費者は『DOLL』とインターネットとどちらがパンクを語るのに相応しいのだろう、どちらが自分たちの希望しているパンクを実現してくれるのだろうと真剣に考えるようになる。ここにはじめて緊張感が生まれて、日本のパンクが面白くなるわけである。必ずしも、欧米とまったく同じようなインターネット・コミュニティを日本に作る必要は無いが、しかし、民主政治といわれるもののなかでは、体制が何十年も変わらないということは良くない。
『DOLL』と消費者の間に、緊張した日本のパンクのための議論というものがなかったことが、日本のパンクをつまらなくしてきた一番の大きな原因だと思う。これは、いまも続いている訳ではあるが、安定政権というものの良さと、安定していない、ひょっとしたらインターネットに政権を取って代わられるのではないかという不安が漂っている状態の、言ってみればある種のバランスがとれているときに、日本のパンクは面白くなるのだと思う。『DOLL』と消費者が双方ともに、出来るだけの知恵を絞り、いい日本のパンクを生み出すために競争する状態がいいのである。
これまで日本のパンクが面白くなかったのは、『DOLL』に代わる媒体がなかったことである。そのために、『DOLL』は自分たちがどんな特集を立てても、いや、特集などほとんど立てなくても、本屋で多数を売ることが出来た。だから広く消費者を相手にして、一人ひとりに考える力を養わせる必要は無かった。その結果、日本のパンクが観念的なパンクになるのと同じように、『DOLL』もまた、自分たちだけの内輪のグループで日本のパンクを動かすようになってしまって、消費者の思考と深くかかわるような雑誌を必死に作ることをやめてしまったのではないか。
端的に言えば、自己満足なのだ。自分が書いたものをみんなが読んでいる、という事実だけで(あるいは、ただ単にそう思い込んで)舞い上がってしまい、どうすれば読者によりよいものを提供できるかとか、どうすればより良質な読者を獲得できるか、といった思索や反省はまったくないまま、たちまちエセ評論家気取り、シーンの立役者気取りになってしまう。日本では、パンクの媒体はそれ自体が貴重だから、書いたものを不特定多数の人に読んでもらえるチャンスは、メタルよりずっと多い。一方、書いたものが批判にさらされる度合いはずっと少ない。特に『DOLL』の発行に携わっている人達は、日本のパンク社会では「金のなる木」とされている人達なので、公然とけなせる者は、DOLL Q以外にあまりいないのである。早い話、彼らが作っているのは、雑誌ではなく同人誌なのだ。
それはさ、はっきり言って非常に傲慢というか、高見の地位にいるというかね。『DOLL』のポジションは非常に高いところにあって、『DOLL』はファンや消費者に何かを与えているわけだよと。与える側にいて、提供してやっているんだ。そのとおりに見ろよという形でね。もう、俺らの物の見方とか、考え方とか、想像力を始めから期待していないんだよ。
『DOLL』だけが至上の雑誌で、『DOLL』こそ選ばれた評論家で、『DOLL』こそが神だという、これは選民思想の表れですよ。
俺達ファンは、『DOLL』の奴隷ではない。『DOLL』の考え方は、買う側、楽しむ側は『DOLL』の奴隷になりなさいと言っているんだよね。なんで俺達が奴隷にならなきゃいけないんだ。俺達ファンは最も自由な存在なんだよ。そういうものに支配されたくない。誰かの奴隷として生きるより、自分の自由を貫きたい。
『DOLL』の中での内輪話が、たとえ音楽的にはかなり高度なものであったとしても、それが他の人にわからないような内輪話的な形で推進されたとしたら、日本のパンクに無関心になる人たちが増えていくのは当然である。しかし、その人たちはずっと日本のパンクに無関心なわけではなく、無関心に見えていながら、実際に何らかの行動が行われたときに、それが気に入らなければ、文句を言い、その行動に賛同しないという、そういう形がずっと繰り返されてきたように見える。
某Straight Edge先生が人気が有ることについて、その良し悪しがさかんにインターネットで言われているが、彼に人気が有るのは、自分の言葉で話している人だということではないか。そして、可笑しいときは可笑しいと言って笑い、困ったときには困ったような顔をするというところが、大変受けたのではないかと思う。
せっかく、某Straight Edge先生のようなインターネットで人気がある人、個人的に人気のある人が出てきたのだから、それが出発点となって、一般の人たちと話し合えるような評論家がもっと出てきて欲しいものである。もちろん、単に人気があるということではなく、議論を聞きたい、意見の説明を聞きたいと人々が思うような評論家が必要である。仮に今後、某Straight Edge先生がいなくなっても、彼のあとを継いで日本のパンクが変わっていって欲しいし、また消費者も、もっと『DOLL』の独裁政権や自分の頭で考えることに関心を持って欲しいと思う。
いま、日本のインターネットに望みたいのは、もっと一般の人たちが日本のパンクの有り方について議論をするように、そして関心を向けるように日本のパンクを変えて欲しいということである。それにはまず、消費者が独り言を言うのをやめて、あるいはひとりで叫び歩くのではなく、消費者同士で、言葉のキャッチボールをすることだろう。そして消費者ともっと討論できる場をつくることだろう。
さらに、『DOLL』と消費者で互いに時間をたっぷりとって、自分の意見を説明したり、反論したりして、そのうえで消費者もいろいろ発言できるような場を増やすことである。インターネットはもちろんのこと、投書欄のようなところでも、そこで『DOLL』と消費者が直接討論するような形を作ることが肝心である。
結局、『DOLL』というものは、バンドやレーベルたちの言うことを黙って聞き、商品を買うだけの従順な消費者を作り出すための道具に過ぎない。パンク・ハードコアなどという幻想をエサに、売り手側に都合のいい消費者を大量に作り出すための巧妙な洗脳システムなのだ。つまり、日本のパンク・システムは、大量のロボット、従順な消費者を作り出すためのものなのである。
ちょうちん記事ばかりの『DOLL』なんて、読んでいて面白いと思いますか?
ちょうちん記事でバンドやレーベルと癒着している『DOLL』は、本物のジャーナリズムではない証拠。
これだと悪く言えば、客を舐めているヒドい殿様商売をしていることになる。
日本のパンクは閉鎖的だ。『DOLL』によって牛耳られている。仮にもジャーナリズムの現場で、こうした不公正が行われていいのだろうか。
消費者の味方であるべき『DOLL』が、じつは消費者の敵なのだからたまらない。
そこには派閥と閉鎖的で内向的集団、そして自分だけのために生きている日本のパンクの麻痺した姿を見る。
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