コブラが日本のシーンに流した害毒は計り知れない
ある馬鹿ガキが自分のホームページの歌い文句として、"Oi/Skins"というコピーを使っていた。そういえば「オイ・パンク」といった表現もある。
僕は、そうした言葉に接する度に苦々しい想いにかられる。「嘘つきやがって」と言いたくなるのだ。日本にはOi!/Skinhead Cultを本当に理解している人間など何処にも存在しない。Oi!/Skinheadを聴いていたのは極く限られた小数の人間でしかなく、いわゆる音楽雑誌に置いても彼等は常に無視されてきた。"Oi/Skins"など、少数のファンの中の、そのまた限られた人達の物でしかなかったのである。
ヨーロッパでの騒がれ方が異常だったので日本でもOi!/Skinheadは話題になった。しかし論議の対象はネオナチであり、ファッションであり、フーリガンでしかなく、彼等の音楽が真面目に語られた事など全く無かったと言っていい。だからこそ"Oi/Skins"なんてコピーを見ると腹がたって来るのである。
トイ・ドールズって、いわゆる"Oi!"なのか??? 「日本で一番最初のオイパンク(?)はコブラです・・・」と言うのも結構だけれど、結局、このコブラというのは、やるべきことを何もやってこなかったんじゃないかと思うね。というか、この人たち、本当にOi!/Skinhead Cultを理解しているのかどうかも疑わしいんだけどさ(苦笑)。数々の証言から考慮して、実は、Oi!/Skinhead Cultについて何も知らなかったんじゃないのかというのが率直な意見です。だから、Oi!/Skinhead Cultについて、我々に何の考証も紹介もすることが出来なかったんだと思います。この人たちの口から、そのルーツである「スキンヘッド・レゲエ」という言葉が発せられるのを、ついぞ一度も聞いた事がありません。多分、「スキンヘッド・レゲエ」というものが存在していたこと自体、知らなかったんでしょうね(失笑)。20年経った今頃、「スキンヘッド・レゲエ」なんて言われても、あまりに遅すぎる後出しジャンケンになりますので無駄ですよ(笑)。
「失われた10年(Lost Decade)」とはよく言うけれど(この場合は失われた20年だから"The Two Lost Decades"か)、日本のOi!/Skinheadの歴史がコブラによって1984年に始められたにしては、この稚拙な我が国の体たらくは何と言ったらよいのだろうか。大半の日本人は、外国から文献を取り寄せて自分で学ぶことをしない、従って、日本人の誰かが発したバイアスのかかった誤情報を鵜呑みにして、それが真実だと思ってしまう。自分の頭で考えることを忘れた国民の成れの果てが、この本に書かれているトンチンカンな記述、日本人のOi!/Skinheadに関する稚拙な認識ではないのでしょうか。
コブラによって日本のOi!/Skinheadが大衆化したことはいい。しかし、それを広めた当のバンドが、無思想で無教養で無知な人間であるとき、Oi!/Skinheadを非常に低級で愚劣なものにする。ドキュソOiは頂点をきわめる。そこから「俺たちは○○スキンヘッズ ブーツを履いて、ズボン吊して、街にくり出そうぜ 団結だ オイオイ」のような無能で無責任なドキュソOiバンドがOi!/Skinheadを一層だめにする。日本のOi!/Skinheadは、まさにこのような状態にある。
例えば、僕が何故ドキュソOiが耐えられないかというと、英米の本物のロック・ミュージックを一杯聴いてしまったからなんです。僕にしてみれば、あんなに英語の下手な、トンチンカンな、出来の悪いモノマネを何故今更聴かなければならないんだ、みたいな感じになっちゃう訳で、だからドキュソOiがすべて悪い。
日本の大手出版社から出版されている書籍において、曲がりなりにもパンク通を気取った高名な文芸評論家が、あの程度の陳腐な認識しか披露できないとは、飽きれて物も言えません。あんな間違った認識のトンチンカンな記述を平気で活字にしてしまう日本の出版界、音楽ジャーナリズムって程度が低いよね。軽蔑するよ。いわゆるパンク通の言論人と言われている人が、あの程度の認識ですので、エセ評論家は勿論のこと、世間一般のミーちゃんハーちゃんは言うに及ばず、恐らく、日本で「オイ」だの「スキンズ」だの「団結」だの言っているバンドは、Oi!/Skinhead Cultについて全く理解していないと思います。ご愁傷様。
渋谷 90年代の話は置いといて、パンクはそうした形でロックの正義を疑うことによって結果的にロックの宗教性を蘇生させたんだな。産業化して保守化したロックを敵として設定するってことは、自分の中に、かくあるべきロックのイメージがあったんだよ。ただ、それをストレートに正義という形で提示するほど時代はのどかじゃなかったわけだわな。どうしてもニヒルにならざるを得ないわけよ。世間はパンクって言うと、バカヤロ、コノヤロ、死んじまえ、ってイメージで考えるけど、それはFオイ・パンクだけだぜ。
松村 そういやいたな、オイ・パンク。
渋谷 ジョン・ライドンでもジョー・ストラマーでも基本は非常に知的なミュージシャンだからな。
F炭坑夫など主に労働者層の支持を集めた激情一直線型パンク。「Oi! Oi!」とかけ声が入るのでこの名がついた。主なバンドにフォー・スキンス、ビジネス、ラスト・リゾートなど。
第17章 パンク・ロック
渋松対談 ”ロックは死んだ”なんて誰が言った?
『ロック大教典』
渋谷陽一 (著)より
ロックの死
しかしまったく逆説的なことだが、1980年代に入ると、パンクはその濃密さゆえに、ロック文化そのものを解体する役割を果たすことになってしまう。ロック文化草創期に形成された三つの指標のうち<アウトサイド>指標と<アート>指標は、それぞれアンチ中央、アンチ芸術の側面をもつわけだが、それを共通参照体系として遵守することによって、「ロックの死」を宣告しなくてはならないという倒立的な事態が生じたのである。
たとえば、反支配文化・反中央意識からくるマイノリティ共同体の文化実践は、かつてのロックがヒッピー的な夢想に支えられておこなったことの徹底化だが、よりマイナーな世界へ、より仲間集団内へと、閉鎖的で排他的な方向に収縮していった。つまり、<アウトサイド>指標を強調しすぎることによって、一般層との共通項が失われていったのである。暴力・グロテスク・露悪主義に貫かれたハードコア・パンクや、移民排斥主義を主張するオイ・パンクなどはその典型である。・・・
第3章 ロック<場>の展開
3 ポップ化するロック
『ロックミュージックの社会学』
南田勝也 (著)より
『「愛国」問答 これは「ぷちナショナリズム」なのか 中公新書ラクレ87』
香山リカ (著), 福田和也 (著)
(中央公論新社)
前作の「ぷちナショナリズム症候群」は、近年の日本の世相を反映してか、著者の飽くまで主観的なこじつけにより、取り越し苦労やら妄想やらをつらつら書き連ねただけのくだらない本で、途中で読むのをやめようかと思ったほどだったが、この続編も所詮は自称パンク・右翼のDQN助教授との出口の見えない知識のひけらかし合いに過ぎない。しかし、それらの対話の中で話題にあがった資料に興味を持ち、自分で掘り下げていく際の取っ掛かりとしては使えると思う。結論をいうと、日本人はやっぱりダメだなという悲愴感が漂っている本です。
ところで、コブラが日本のシーンに流した害毒のせいかどうかは知らないが、「第2章 ぷちナショナリズム2003 - 窪塚洋介から日本語ラップまで」の中の「パンク・ラップ・ナショナリズム」の項で、「オイパンク(何それ???)」に関する間違った認識のトンチンカンな記述があったので提示しておきます。あえて私のツッコミは控えさせていただきます。悪い見本として、みなさんの議論の材料にして下さい。別に、私は情報操作をしているつもりは無いので、嘘だと思ったならば、この本を自分で買うなり近所の図書館で取り寄せるなりして自分で確かめてください。このホームページに書かれていることは、飽くまで物事を自分で考える際の「切っ掛け」でしかないのですから(私個人としては、「コブラが日本のシーンに流した害毒は計り知れない」ということの裏付けが、この本によって確証されたと思っています)。
それにしても、この福田和也って人は「真珠湾奇襲を讃えた、ブルーハーブというラップ・グループもいます」と言っておきながら、同レーベルの壬生狼も鐡槌も知らんのかね(?)。(中略)
福田 たとえばジャムなんかは完全に保守ですよね。アルバム「セッティングサン」とか、あの辺はどちらかというと中流階級的な右翼だけど。(注:『ポール・ウェラー マイ・エヴァ・チェンジング・ムーズ』 ジョン・リード (著)を読めば、この記述が如何に杜撰であるかが容易に理解できる)もうちょと若いシャム69というのがあって、これは完全に頭を剃っていて。スキンヘッドの原型は、たぶんシャム69なんですけど、これはもう右翼です。(注:シャム69は完全に頭を剃っていないし右翼でもない。もし右翼だったらクラッシュと一緒にAnti Nazi Leagueには参加していない)で、クラッシュとかピストルズは、どちらかというと左翼っぽいというのがずっとあったんだけど、サッチャーの規制化が厳しくなってくるにつれ、政策、社会的に抑圧が進んでくると、これが両極化するわけです。
(中略)
福田 そうですね。今、イギリスでは完全に無力化されているけど、例のナショナルフロントという人種主義の団体ができる。クラッシュなんかは、これにすごく反発するんですね。彼らの映画で「ルード・ボーイ」というのがあって、その中で彼らは、ローディーなんか全部プアホワイトだから、すごく移民を馬鹿にしたり乱暴したりするんだけど、ジョー・ストラマーとかあの辺は、もう少し意識が左翼になっているというようなズレを描いている。これはすばらしい、いい映画です。そうやって右の層がやってくると、オイパンクというスタイルのパンクが出てくるんです。トイドールズとか。(注:トイ・ドールズは"Strength Thru Oi!"というコンピレーションに参加したことがあるが、あれはブームに便乗して参加しただけで、彼らは、いわゆるOi!ではない。トイ・ドールズのフォーラムで聞いたところ皆がトイ・ドールズはOi!ではないと言っていた。トイ・ドールズをオイパンク?と定義しているところなんて、もろにコブラの悪影響を受けている証拠。これで射延博樹氏の主張が確証されてしまった)このスタイルが日本にも入ってくる。ラフィン・ノーズとかって、あったじゃないですか。
(中略)
福田 その頃、日本のニューウェーブ、あと自主レーベルブームの中で出てきたコブラというバンドがあって、これは完全にオイパンクだったんです。(注:そもそも「オイパンク」などという意味不明の、日本でしか通用しないダサい呼び名を、当たり前のように使っている時点でナンセンス)なかなかこれはおもしろかったんだけど、ボーカルの揚子江が脱退した後にソロで始めたバンドが、80年代半ば頃かな、パンクで「君が代」をやっているんです。
(中略)
福田 オイパンクはナショナリストなんです。(注:ということはコブラはナショナリストということか。ではなぜコブラは同じナショナリストであったSSSの連中から痛烈な批判を浴びせ掛けられたのでしょうか? コブラはノンポリで商業主義のトンチンカンな「シンガロンガ?」ドキュソOiだったからでしょ)今流行っているいわゆるパンクといわれているやつ、「贈る言葉」を歌っているFLOW(武田鉄矢率いる「海援隊」の約二十年前のヒット曲をパンク調にカバーした曲が今春話題に)とか。あのスタイルがオイパンク。要するに非常にわかりやすい、バスドラ四つ打ちで、ガッタンガッタンとやるスタイルが今帰ってきている。
(続く)
(2003年12月某日)
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