さらばドキュソOi - 序に代えて
巷には相変わらず、「英国大好きバンド」が溢れています。
英国大好きバンドをいくら聴いても英国の本当の姿は分からないけれど、日本人の性格が良く分かる。何故なら英国大好きバンドには、日本人の西洋コンプレックス、勤勉さ、向上心、人の良さ、自虐性、諦感などが、ぎっしり詰っているからです。まさに日本人をギュッと凝縮すると英国大好きバンドが出来上がる、と言っても過言ではありません。
ですから、英国に興味が有ると無いとに関わらず、日本人が我が身を振り返って見る為には「英国大好きバンド」は重要なジャンルと言えるでしょう。それだけでも英国大好きバンドには存在価値があるのですが、そこで終わってしまっては本来が勉強好きな日本人には物足りません。と言う訳で、どうしてしつこく英国なのか、もう少し突っ込んで考えて見ましょう。
T京のOi!/Skinheadを自称するLiveに行ってみると、必ず英国の国旗、聖ジョージ・クロスを仰々しく揚げているバンドに出くわします。"Made in England"とか"East End"と称するバンドもいて、英国のバンドなのかというとそうではない。それでは日の丸、日章旗がひるがえっている所はないかと見渡してもSkrewdriver(人種差別・白人至上主義)をカッコイイなどと言っている安っぽいバンド以外どこにもありはしない(自分のIDに、欧米の人種差別・白人至上主義バンドの真似して"88 = Heil Hitler"なんて入れてる頓痴気は、某Straight Edge先生に「ナチのシンパ」呼ばわりされても仕方ないと思うのだが)。
別に私は日本人のバンドに日章旗を必ず掲揚せよなどと言っているのではない。メロコア(青春パンク)に反発するCobraの申し子たちも聖ジョージ・クロスなどの人種差別する側の国旗には親しみを持っているらしいことに、ある種の痛々しさを感じてしまうだけのことだが。流行りの日本人バンドの歌にしても、曲のタイトルにしても、日本人制作でも世界に通用しない自己満足な変な英語にしてしまう。なんにつけても一流の表現の要因としてあるべき、純で簡潔なものがなく、雑然とした騒々しさでしかない。その程度のものに一時ではあっても身も心も酔ってしまう自分たちに、そのうちきっと気つくだろうとは思いたいが。
・・・初め、日本の若者が顔にペイントをしているのを見たテレビのリポーターたちは、口々に「Strange!」と言っていた。ここの日本人たちもみんなそう感じた。自分の国のチームが出場するのに、他国のチームの旗を顔にペイントする異様さ。こんなことは、世界中のどんな国の人もしないと思う。仮に英国でワールドカップをやっても、英国人が自国の旗をほっといて日の丸をペイントしたりはしないと思う。そんなことをしたら、ここのメディアはそんな人々を袋叩きにするだろう。韓国のように、国中挙げて自国の応援だけをするのが正常だと思うが。・・・
『許すかNOか―イギリス・ニッポン57年目の和解』 高尾慶子(著)より
こんな植民地根性丸出しのTシャツ、着る奴の顔が見たいわ。
本国では、我が国の「原宿Tシャツ」と同じ値打ちやろね、きっと(失笑)。
まったく、今この国は奈辺に向かおうとしているのだろうか。そんな気がふと、というよりつくづくしてきます。
くり返しいってきたことですが、在日カナダ人率いるAllegianceは"King of The City"の中で、
"What's the colour of your skin and what is the nation of your birth... Sang your song but forgot who you were..."
自分の言葉を恥じて
訳のわからん英語で捲くし立てる
自分の人種を恥じて
白人に憧れる
遠い国のすぎさった過去に思いを馳せ
自己欺瞞と偽りの道を選ぶ
自分の全てを否定しながらも
お前は本物を気取った
逃げ出した今も
その無知が巷に蔓延る
と揚言していた。詰まる所、カナダ人から見れば、日本のバンドたちは、自分達が日本人であることも、そして、その日本の文化を背負っていることも忘れ果てて、あるいは隠して、一から十まで英国(あるいは米国)人の真似をしている。これが彼らから見れば如何に滑稽に見えるか、あるいはまた醜悪に見えるか。その事に気づいた途端、私は激しい自己嫌悪に襲われました。
英国のThe Vaporsはその中華風(失笑)ギターの名曲(日本国民国辱曲)"Turning Japanese(邦題:俺、日本人(情けない世界の笑い者)になっちゃうよ>超訳:人間やめますか、それとも日本人になりますか?>日本人は生きる価値なし)"の中で、
"No sex, no drugs, no wine, no women... No fun, no sin, no you, no wonder it's dark... Everyone around me is a total stranger... Everyone avoids me like a psyched lone-ranger... Everyone... That's why I'm turning Japanese..."
*DOLL増刊号『PUNK天国』に書かれている誤情報を鵜呑みにして、この曲を「対日批判ソング」とかほざいている塔盤屋吉祥寺店のアホへ。おまえ、歌詞全部読め! それとも英語文盲のくせにREVIEWしてんのかな? おまえ、これのどこが「対日批判」なんだよ。いいか、「批判」というのは誰かが行った物事に対して否定的な意見を言うことだ。「日本人=つまらない人間」という例えとして日本人を出しているだけであって、この場合、日本人に非なんてまったく無いんだよ(悲しいかな、日本人というのは今も昔も世界中で馬鹿にされて笑いのネタになっているんですね。ハリウッド映画に、よく変な日本が出てくるし、まあ、心当たりが無きにしも非ずですが)。「DOLLを真に受ける、DOLLこそ絶対正義と信じてやまない」おまえみたいなドキュソは、これでWONDERFULL WORLD OF ドキュソOiの仲間入り(笑)。
日本人は所詮「短小包茎」に過ぎぬと言い放ってもいる。それについて日本の政府や出先の大使館が抗議したという話など一向に聞きはしない。
・・・彼女たちからすれば、植民地人や有色人種はあきらかに「人間」ではないのである。それは家畜にひとしいものだから、それに対し人間に対するような感覚を持つ必要はないのだ。どうしてもそうとしか思えない。・・・はじめてイギリス兵に接したところ、私たちはなんという尊大傲慢な人種だろうかとおどろいた。なぜこのようにむりに威張らねばならないのかと思ったのだが、それは間違いであった。かれらはむりに威張っているのではない。東洋人に対するかれらの絶対的な優越感は、まったく自然なもので、努力しているのではない。女兵士が私たちをつかうとき、足やあごで指図するのも、タバコをあたえるのに床に投げるのも、まったく自然な、ほんとうに空気を吸うようななだらかなやり方なのである。・・・
・・・『ロスト・イン・トランスレーション』主演のビル・ラリーによれば、日本のインスタント・コーヒーのコマーシャルに出ているハリソン・フォードやケビン・コスナーは、「どうかこのコマーシャルはアメリカでは放映されませんように」と祈っているみたいな顔をしているという。ジョディ・フォスターやブラッド・ピットなどの「本格演技派」を自負する俳優は、本国では気に入らない二流映画にさえ出演しないのに、日本の金には平気で魂を売り渡している。彼らの顔はこう言っているように見える。- "I wouldn't do this in my own country because people would laugh at me, but I don't really care what these little oriental folk think."(こんなことをしたらみんなに笑われるから自分の国ではやらないんだけど、東洋の小さい連中がボクをどう思うかなんて気にしないさ。)・・・
『イギリス発 日本人が知らないニッポン』 緑ゆうこ(著)より
日本では、英国に行ったことのない人でさえCarnaby Streetの名を知り、MERCの服を買い、子供たちは英国プレミア・リーグのサッカー・ユニフォームを着てウェストハム・ユナイテッドがどうのこうのとか、リバプールが勝っただの負けただのと騒いでいるのに、このギャップをどうするのか? 文明開化の頃ならいざ知らず、二十一世紀にもなって日本人は英国に奇妙な片思いをしたままで良いのか?
倣岸無礼な話だが、しかしいわれてむべなるかなという気がしないでもない。これは私だけの感慨ではなしに、今日多くの心ある日本人が密かに共通して抱く感慨でしょう。我々日本人が誰かからその国籍を問われ胸を張って日本人だと名乗ることがはたして出来るのだろうか。ひょっとするとどこかの国の属国、どこかの国の一州となりおおせているかもしれぬという気が、しないでも決してない。
「ああ、あんな国は後二十年たったら消えて無くなっている」
「ジャパン・イズ・ユーエスズ・ヴァッスル」
「盗人伊太利亜人のインチキ日本語サイトに頼らなきゃ外国に自己主張できねえなんて、日本人も地に落ちたよな(こんなことしていたのでは、馬鹿にされるだけだということもわからないのか)」
「ファック・ユー、ジャップ」
「あなたがた日本人ほど真意がわからない民族もありませんな」
「世界の悪党」
「動物イジメのサディスト集団」
・・・「われわれはわれわれの祖国の行動を正しいと思って戦った。君たちも自分の国を正しいと思って戦ったのだろう。負けたらすぐ悪かったと本当に思うほどその信念はたよりなかったのか。それともただ主人の命令だったから悪いと知りつつ戦ったのか。負けたらすぐ勝者のご機嫌をとるのか。そういう人は奴隷であってサムライではない。われわれは多くの戦友をこのビルマ戦線で失った。私はかれらが奴隷と戦って死んだとは思いたくない。私たちは日本のサムライたちと戦って勝ったことを誇りとしているのだ。そういう情けないことは言ってくれるな」・・・
・・・日本では、「ガイジン(外国人)コンプレックス」という言葉をちょくちょく目にするし、耳にする。「外国人」とは、この場合、背が高く、脚が長く、多くは金髪碧眼の典型的な西洋人のこと。西欧では、「日本人はなぜわれわれと同じようになれないのか?」という問いかけが長年おこなわれてきた。日本人はまったく逆に、「われわれはなぜ西洋人のようになれないのか?」と自問する。髪を栗色に染め、コンタクトレンズをはめて目の色をブルーにする者も多い。女性のなかには、乳首をもっと淡いピンクに見せる特別なクリームを買う人までいる。見た目の好感度がいちばんだと思われているので、車から咳止めドロップにいたるまで、商品のコマーシャルには欧米人のモデルや俳優やロックスターが起用される。とにかく、見かけが洋風だとトレンディーで、おまけに信頼がおけると思われる。メーカーは自社の製品を売るのにこういう背景を巧みに利用し、新製品はヨーロッパやアメリカで「すでに人気になっている」と紹介される。
日本人のアメリカ好きはそうとうなもので、「今度生まれ変わるとしたら、どこの国の人になりたいか?」と問われると、世論調査では30パーセントが「アメリカ人」と答える。英語も日常生活にあふれているが、その英語たるや、日本的な発想で作り替えられたなんとも独創的なもの。コーヒーをまろやかにするための粉末クリームは、「変態男」と同じ発音の「クリープ」。ジムでエクササイズを終えたあと、水分を補給するために飲むのは、「ポカリの汗(スエット)」。おなかがすけば、「もっと幸せ(ハッピーモア)」というファーストフード・レストランに入る。職にあぶれていれば、最寄の「お仕事、こんにちは(ハローワーク)」という職業案内所へ出向いていく。・・・
『日本人のまっかなホント』
ジョナサン・ライス / 浜矩子 / 嘉治佐保子 (著),
小林宏明 (翻訳)より
・・・アメリカに滞在する日本人で、自分の日本性を除去することにより、アメリカに融け込もうとする、あるいは融け込んだつもりの者がかなりいるが、傍から見ると、大変に滑稽である。そうすることにより、表面的には融合して見えるが、真の意味で融け込んでいるとはとても思えない。なるほど、彼らは一見アメリカ的である。握手も上手に堂々と出来るし、レディーファーストも自然に身につけている。英語もうまいし、軽妙なユーモア、身のこなしや服装、態度も日本人的ではなくアメリカ人に似ている。しかし、私にはそういった人々が真にアメリカ的だとは思えない。彼らは単に意味のない平均値に近いというだけの言わば、「日本的でない日本人」にすぎない。アメリカ人にはなり切れず、日本性を失っただけの国籍喪失人間としか思えないのだ。こういった人々は、Americanizedというよりは、むしろCocacolonized (Cocacola+colonize)と呼ばれるべきなのであろう。とにかく、アメリカという集合体に、外部の何かが、自らの異質性を放棄することにより適合しようと試みると、絶対にうまくいかないのである。それはオーケストラに似ているかも知れない。ヴァイオリンもチェロも、ピアノ、フルートも、他のどの楽器とも違う自分自身の音色を持つからこそ全体として美しいハーモニーを作る。各楽器を同時に演奏したような音色の楽器を人工的に作り出しても、それはオーケストラに融合しえないのである。・・・
『若き数学者のアメリカ』
藤原正彦 (著)より
この日本を押し包んだ「ドキュソOi」を払拭し、日本が真のOi!を獲得しなおし、世界の中で強い存在感を持つOi!としてふたたび雄飛していくために必要な手立てとは、まず自らについて知ること、自らの持てる力について確かに知ることと、そして併せて、いったい何と何が足りないのか、何が欠落しているのかを知ることです。
自立し、個性的で、相対感覚のある人で初めて、芸術家であれバンドであれ、時代の「前衛」たり得る。日本を代表する有識者、某Footy兄弟、某Straight Edge先生といった人たちは、それまでの権威を信じなかった。そこに彼らの成功があった。十年先が彼らにとっての現実でしかないような、「信長」タイプの人たちです。こういう人を育てるにはOi!の根本を変え、あるいは試行錯誤が続くだろうが、その経験を積み重ね、先人たちが築いたものに近づく努力を弛みなくしていくしかない。
日本では確かに、新しいことをやろうとする人間は迫害されがちです。しかし、世の中はすべて芸術と同じで、人と同じことをやっていたら何も動かない。誰も評価しない。これから世の中を変えていくのはすべて前衛、人と違うことをやっていかなければダメです。松下幸之助も本田宗一郎もみな前衛でした。本来そういうことのできない種類の人間の意見に従っているばかりでは、日本は何も変わりません。
結局、日本においては、目先のことしか考えに無く、長い視野での努力は、全然なされていないということである。目先のことしか考えない文化は、バブル経済と同じように、泡のように消えては浮かび、浮かんでは消えていくだけで、いつまでたっても大人の文化には成長しないのではないだろうか。
自分が何人であるのかを理解していない、真のOi!/Skinhead Cultとは何であるのかを理解していない、「ドキュソOi」を大きく規制していくことが出来ぬ訳はないと思うのは、はたして私だけなのでしょうか。
研究
自分の胸に手を当てて自分が一体何人であるのか、"Spirit of '69: A Skinhead Bible" by George Marshallを紐解いて真のOi!/Skinhead Cultとは一体何であるのかを今一度考えて見よう。
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