TOTAL ドキュソOi PUNKS(一億総ドキュソOi)
最近、当ホームページのアイデアやコンセプトを盗んで作ったと思われる「Total何とか」という噛ませ犬が横行しています。ある程度パクられることは予想していましたが、俺達は、唯一無二の存在として、おまえよりも一歩も二歩も先を行っているんだよ。日本人としての自覚(断っておくが、「誇り」じゃないからな)、相対感覚、揺るぎ無い信念は、どこぞの学生崩れのド素人が一朝一夕で真似できるものではない。インターネットの功罪は、こういう語る資格も無いド素人が手軽にどっかからコンテンツをパクってきて、まとめて、勝手にホームページをでっち上げるところなんだ。英語の出来ない、海外経験の無い、相対感覚の無い奴に洋楽を語る資格は無い。えげつない真似してると、このホームページで晒してネタにしますんで夜露死苦(笑)。
こいつのサイトに、陳腐なパンク論が書かれているんだけど、「パンクは自分の頭で考えること」だとよ。その肝心な自分の頭で考えたことを書かなければ意味が無いじゃないか。考えることだったら馬鹿でも出来るんだよ。パンクを名乗るのであれば、『DOLL』の独裁政治について、どう思っているのか。Oi/Skinsと銘打っているのであれば、「人種差別・白人至上主義」について、どう思っているのかを書かなきゃおかしい訳だろ。そんな誰もが知っている日本の文献に書かれた知識のひけらかしなんて退屈だよ。怪獣図鑑の怪獣の名前を丸暗記して得意げに披露している幼児と一緒だ。『時計じかけのオレンジ』、『さらば青春の光』、『アメリカン・ヒストリーX』しか思いつかない、そのお前の思考回路は、とっくに停止しているよ。
結局、お前は、パンクとは何かを理解していない。それについて、自分のはっきりした意見も述べていない。我々のサイトの下手な猿真似、ただの亜流だ(笑)。
日本のインターネットが生み出したと言っていいのかもしれないが、日本人がみんな評論家に成ってしまった感があるのはどういう訳だろう。あっちを向いても評論家、こっちを向いても評論家、実際に何かをする人ではなくて、人のやったことに色々と文句をつけたり、勘ぐったり、あざ笑ったりする人が多い。他人が何かをやったら、まずその人の足を引っ張ること、それを楽しみにしているような人が増えているようである。そういうエセ評論家が出るインターネットやコメントを載せたホームページ、雑誌を見て、これくらいなら私も評論家になれる、あれくらいなら私も一言言えると思って、さらにエセ評論家志望者が増えるのかもしれない。
もちろん、みんなが何かの専門家でなくてもいいし、専門家ではない素人のコメントが大切なときもある。しかし、素人のコメントというものは、話す人の生活体験に基づいたものなら、大変効果的で重要なこともあるが、自分の体験に基づくものでもなく、自分自身の暮らしや生き方にはっきりした筋道、言ってみれば、考えや思想があるわけではない人が、なんとなくフワフワ、評論家風にコメントすると言うのが多い。
真剣に怒ったり、心配したり、喜んだりするのではなく、軽く受けて適当に流す、気の利いた風だが、中身のない発言が日本中に満ち溢れている。
もともとこの国では、Oi!/Skinheadということに対しての理解というのはほとんど無いんじゃないかと思うね。レコード評にしても、表面的な音の話ばかりで、その歌詞の内容がどうだとか、押韻がどうだとか、思想がどうだったかというような話にはまずならない。
そこらじゅうの馬鹿なドキュソが、頭坊主にして、
ドクター・マーチンはいて、
ロンズデールのかばんと
フレッド・ペリーと
ベン・シャーマンを持って歩いている。いまや商売の基本は、ドキュソを何人集められるかの勝負になってしまった。やっぱり五万人より十万人、十万人より百万人動かしたら勝ちなんだから。結局、物が良い悪いじゃなくて、その雰囲気にしてしまって、売ってしまった方が勝ちなんだ。ロンドン何とかの音楽なんてその典型だろう。
それにしてもこれだけ、ドキュソが団体で動いている国は無いんじゃないのかな。外国へ行けば、同じような奴が一杯いるとは思わないもの。新宿を見れば、みんなほとんど同じ顔で同じ服装をして歩いている。外国へ行ったら、服のきまりなんて、気がついたことないよ。
パンク・ファッションで、儲かっている会社がいっぱいある。パンク同士で、あれダサい、これつけなきゃって、みんな同じ格好する。パンクが社会に反発しているどころか、見事に体制に組み込まれているんだから情けないよ。
いまは『DOLL』のロボットばかりだ。軍隊のように統制され、同じ服を着て、同じ音楽を聴いて、同じ行動をとる。個性に欠けています。
ホームページを開く必要が無い奴が、ホームページを開いてはいけないんだ。今の日本のインターネットは「仲良しごっこ」ばかりで議論どころではない、という。Oi!/Skinheadについて語ってはいけないエセ学生が語る。Oi!/Skinheadをやってはいけないバンドがやる。「人種差別・白人至上主義」の領域に来てはいけない黄色い猿が来る。誰でも何でもできるという社会は理想のはずなんだけれど、そのことによって規律がなくなってしまう。
要するに、みんな、自分とは縁がなかった世界に「もしかしたら手が届く」と思って、手を伸ばし始めてしまったんだ。分をわきまえなくなった。それもこれも、平等ばかり言ってきた戦後教育のツケが回ってきたんだ。世の中は、みんなが「勝つ」わけじゃない。それなのに、「負ける」ことがあるって当たり前のことを教えてこなかった。「努力すれば何でもできる」なんて言ってね。「夢を持つ」とか「将来やりたいことがある」とかってセリフを、お経のように唱える。まさにそういう戦後の民主主義教育にどっぷりと浸かってきた世代。「頑張れば夢はかなう」とか「若い時代は二度とないんだから、やれる時にやりなさい」とか教育されてきたんだからしょうがないけどね。
「個性を伸ばす」とかいう、これまた馬鹿の一つ覚えのお経の成果だよ。「私は個性的なの」って言って、みんな
ドクター・マーチンに
MA-1、サスペンダーに
スタプレスト・ズボン。どこに個性があるんだって。原宿では、田舎から来た人の方が派手だという話がよくある。とんでもない格好で歩いてたり、ライヴとかで踊りまくっているネエちゃんは、たいてい地方の出身者だって。いや、どの世界でも勘違いして、急に目覚めちゃう奴っているんだ。
「人の能力はみんな平等にあるんだ」、「自分に自信を持て」、「やる気になれば、何でも出来る」。そんな建前の奇麗ごとばかり教えられるから、「自分は大したもんなんだ」と勘違いする奴も出てくる。世の中には才能のある奴もない奴もいて、決して平等じゃない。なのに、ひょっとして自分には才能がないんじゃないかってことを、ハナから考えていないんだ。戦後民主主義教育っていうのは、敗者を作らない教育だから、その現実には目をつぶって、ここまで来た。運動会の競争では、お手々つないでみんな同時にゴールイン。そんなことばかりやってるから、子供達はいつも平等、敗者になる体験をしないまま社会人になってしまう。
附言しておきますが、人間の尊厳という本質的なものに関しては誰もが平等であり、等価値であり、それぞれが同じ資格を持ってはいますが、しかし一方、やはり立場の違いによる様々な格差、上下関係も厳然としてあるのです。でなければ社会がもたない。
たとえば「Total何とか」というホームページと某Footy兄弟を比較すれば、人間としての資格は対等で平等であっても、能力とか経歴など社会的な意味合いで平等であるはずが無い。インターネットにおける当ホームページと「Total何とか」、白色人種と有色人種も然りで、身分の違いは有無を言わさずにある。
人間は誰でも平等であることを望みはしても、そんな時代が到来することなど百パーセントありはしません。そう努めるのも結構だが、それは所詮不可能なことだし、だからまた、人生の味わいもあるのです。
(つづく)
・・・日本人異質論というものがある。それは、「良きにつけ悪しきにつけ、日本人の行動様式が、他の国民に比べて異質であり、理解しがたい」とする見方だ。
彼らが、日本を悪く言う時のキーワードは<集団>と<金の力>と<欲望>。これらが日本人のさまざまな行動に共通する要素であると見る。
日本人観光客は、単独では行動出来ず、一人で町を歩いている時は控えめだが、団体になると途端に豹変する。群集心理がそうさせるのか、急に厚かましい行動をとり始める。美術館など、写真を禁じられている場所でも、平気でシャッターを切るし、他の国の観光客のために、イギリス人やフランス人のガイドが話している時も、大声で自分たちだけの話に興じる。日本人が一人でいる時と集団でいる時の落差が激しいことは、外国人が奇異に感じるところである。・・・
日本人は、一人一人ではおとなしくて目立たない。教育程度も高いが、集団を組むと途端に傍若無人になる。そして金の力で欲望を充たすために猛進する。これがイギリス人の日本人観と言っても、間違いではない。・・・
『イギリス発 私的日本人事情』
渡辺幸一 (著)より
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