『ロンドン・ラジカル・ウォーク 音楽から政治までのライフ・カタログ』
花房浩一 (著)
(新潮社)
パンク版林信吾と言えばいいのだろうか、80年代にイギリスで不法滞在を繰り返していた、ヒッピー崩れの著者による一風変わったロンドンのガイドブックです。日本で出版されているロンドンのガイドブック自体、実に下らないものばかりで、こういう地球市民タイプの日本人が書いたガイドブックというのは、最近では『週120ポンドで暮らすロンドン生活術』 いけだよしこ (著)などがありますが、基本的に書いてある内容は、日本食の調達方法だとか、蚤の市の情報だとか、インスタント英会話だとか、どれも一緒ですね。ヤマダナオヒロ並の知能でもって森脇美喜夫をべらんめえ調にしたような文体で書かれているので非常に読みにくい本なのですが、ただ、この本が他と違ってユニークなところは、ギャズ・メイオール(Gaz Mayall)や故ジョン・ピール(John Peel)
が出てきたり、反核運動を紹介したりと、80年代当時の政治的な観点から見たロンドンを紹介しているところでしょうか。とりわけ、著者は左翼弾き語りシンガーのビリィ・ブラッグ(Billy Bragg)
に肩入れしているのがよくわかります。まあ、ビリィ・ブラッグというのは、イギリスでは左翼系アーティストのヒーロー的存在ですので無理もないことなのですが。
「9. ラジオが刺激的 - BBC
から海賊放送局まで」より、
・・・言葉が多少なりとも理解できるようになると、インタヴュー番組で語られるミュージシャンたちの言葉が、なあなあで済まされる日本のそれとは違ってかなり政治的な内容をも含んでいるのがわかるようになる。アナウンサーの質問もシリアスなものが多いし、それに対するアーティストたちの過激な答えがスピーカーの奥から伝わってくるのだ。さらに面白かったのがディスカッション番組だった。当時急成長を続けていたのが反核団体、CND(Campaign For Nuclear Disarmament=核廃絶運動)。その起爆剤とも言える若い人たちが参加した番組は今でも忘れられない。保守党の国会議員を前にしてまだ15歳だった女の子がこう言ったのだ。
「そりゃぁ、あなたたち年寄りはあと数年しか生きてられないでしょう。でも、私たちはあなたたちよりもずうっと長くこれから生きていなきゃいけないのよ。無責任な発言しないで欲しいわ。未来はあなたたちのためにあるんじゃなく、私たちにこそ与えられるものよ」・・・
こんなの欧米人とMSNメッセンジャーなどでチャットをすれば分かると思うが、年端の行かないガキでさえも自分の意見を相手に説明できて、政治について議論ができる。我が国じゃ下手すると大学生ですら頭パッパラパーで自分の国のことさえ知らなくて議論以前の問題でしょう。また、海外のフォーラムなんかを見ると、必ず政治のカテゴリーがあって、皆が発言し議論をしている。残念ながら、そういった政治的な発言の場は日本人は決して設けないよね。また、日本人がそういった海外のフォーラムで発言しているのも決して見かけない。英語で書かれた文献を翻訳し、欧米の事象を紹介するのは得意なようだけど、じゃあ逆に、自分達の情報を英語に直して世界に発信したり紹介するといったことを、全くやってこなかったのが日本人であり日本という国なんだよな。
次の個所は、「10. 情報誌はジャーナリズムだ [1] - タイム・アウトとシティ・リミッツ」からの引用です。ちょっと長くなるが、真のジャーナリズムとは何かという命題に対して著者が自分の考えを述べている非常に重要な個所なので、お付き合い願いたい。
"¥の出ずる国、ニッポンのキャピタル、東京にこのタイム・アウト(Time Out)にとって姉妹のような雑誌「ぴあ」なるものがあるそうな。ところがである。いかなることか、その読者はほぼパーフェクトに16〜22歳の年齢層に限定されておるというのだ。さらに驚異なることには星の数ほどもイヴェントがあるにもかかわらず、そこにはその選択をするための評論が全くもって存在しないのである。さて、読者はなにを頼りに選択をするのであり、この雑誌はいかなる理由をもって存在できるのであろうか。う〜む、不思議なるかな!"
もう数年前のことだ。ロンドンで最も好調なセールスを記録する情報誌、タイム・アウトが過去最大規模で開催された日本芸術展を前に日本特集を組んだことがある。その時掲載された記事の冒頭は、確かこんな具合に皮肉いっぱいで始まっていたように思う。なんでも、日本人は大学を出て社会に出るとロックやポップスなんてことをスッカリ忘れて働きバチになるんだそうな。そして、娯楽の対象はカラオケなんぞに変質する。まぁ、確かにその分析は正しいんだろうな。けど、日本人の置かれている悲しい状況を知りもしないで勝手なこと書くんじゃねぇよ、とこれを読んだ時は頭にカチンときたもんだ。残業やら交際マージャンからカラオケまでをこなさないと村八分にされかねないのがニッポンのサラリーマン。過酷な競争を強要されるこの社会で生き残るにゃ、それを受け入れざるを得ないってのをもっと知ってほしかったよ。それに映画やコンサートだって、仕事を終った頃にはもう始まっちゃってんだから、行きようがないじゃねぇか。実はみ〜んな遊びたがってんだ。そのあたりまでシッカリ調べて書いて欲しいぜ。と、ブツブツ文句を言いながら、友人たちにその理由を説明したような覚えがある。
でも、正直言ってこの指摘は面白いぐらいに大アタリしてるのだ。特にロンドンの情報誌、タイム・アウトやそのライヴァル、シティ・リミッツの姿勢を東京のびあやシティロードと比較すると、その指摘の理由がハッキリする。要するに、彼らにしてみれば情報誌だって完全にジャーナリズムの一部。まるで広告の集大成のような告知板とは全く違う意味を持つのが雑誌なのだ。もちろん、"全ての情報を無機的に網羅する"というポリシーを守って成功したのがぴあ。ことセールスに関して言うなら、タイム・アウトはぴあには端っから勝負できない。でも、ぴあを全く読むところのない告知板だと言われたところで、当たらずとも遠からず。実際、認めざるを得ないような気がするのだ。
ただ、シティロードあたりになると確かに評論らしきものが掲載されてはいる。その意味で読者が面白い映画やコンサートを選択する基準にはなってるんだろうけど、ここで姿を見せるのが評論とジャーナリズムの違いだ。東京での対象となっているのはたいてい作品や人であり、感想レベルの評論に近い。が、ロンドンではその街をベースに政治から経済を始めとしてエンタテインメントまでが鋭い切り口を持つニュースとして掲載されているのだ。そして、その上で評論なるものが登場する。いわば、新聞の地方版的要素を含みながら、それとはまた違った独特の色を強調。ロンドンで明るく楽しくハッピーに生きるための生活情報が次から次へと送り出されてくるのだ。もちろん、暗いニュースだって山ほども顔を見せるが、それだって隠されるよりはまだマシだ。無知のまま人間性を奪われた盲目の新人類に仕立て上げられるよりは遥かに健康じゃないのかね。・・・
確か、遠藤ミチロウ氏が過去に、『DOLL』のことを揶揄して、パンク版『ぴあ』と言っていたことがありましたっけ(笑)。渋谷陽一も『DOLL』は情報誌的な路線で行けと言っていたけど、ボンクラ編集長の姿を見て、その程度の可能性しか見出せなかったのかもな(笑)。まあ、「『DOLL』の功罪」についてはドキュソOi THE COLUMNの中で徹底的に書きましたから、ここでは省略しますが、この国にはジャーナリズムなんていうものは端から存在しないんだよね。これは、音楽雑誌に限らず、活字媒体全体に言えることだけど、思想が全然存在しない。情報の断片だけ。
例えば、イギリスでは、階級ごとに読む新聞が大体分かれていて、あれはリベラル派、これは保守派、さらに高級紙、大衆紙と、それぞれカラーがはっきりしていて選択肢が沢山あり、読者が毎日選べるようになっている。ところが我が国の場合は、新聞配達制度で縛られていて選択の余地がない。辛うじて産経新聞が右翼だといわれているが、どの紙面を見ても基本的に横並びで左翼的な論調だ。まるで日本人は集団主義で画一的なロボットですよと言っているようなものだ。
小野島大や行川和彦などのエセ評論家が、どんなに何ちゃって革命家を気取ろうにも、どう足掻いても埋められない溝がここにある。まあ、こいつらが粋がっていられるのもコネと情実が支配する低レベルな日本国内においてのみだけどね。だって、こいつらのことは世界じゃ誰も知らないんだからさ(笑)。大体、英語が出来ないくせに洋楽の評論家になれるのは日本ぐらいのものだよ。じゃあ、日本には世界に通用する自称音楽評論家・ジャーナリストがいるのでしょうか? ぶっちゃけ、この本の著者である花房浩一氏も、渋谷陽一も、大貫憲章も、森脇美貴夫も、世界的に見たら誰も知らないんですよ。
昭和63(1988)年に発行された本なので、掲載されている情報は古すぎて役に立ちませんけど、カラー写真を多用しているので、その当時のロンドンの雰囲気を知りたい方はどうぞ。あと、本場のジャーナリズム、カウンター・カルチャーがどういうものかを知りたい方にとっても打って付けの本です。何とこの本、現在、アマゾンのマーケットプレイスで入手可能です。しかも、こんなに面白い貴重な本が軒並み30円台で売られているなんて。持っていない人は即買いましょう。
『音楽は世界を変える―反逆する音楽人の記録』
ロビン・デンスロウ (著), 花房浩一 (翻訳)
(ソニー・マガジンズ)
あの『ロンドン・ラジカル・ウォーク - 音楽から政治までのライフ・カタログ』での、べらんめえ調からは想像も出来ないくらい滑らかで流暢な翻訳です。まるでゴースト・ライターが翻訳したみたいですが(笑)、きっと訳者の花房浩一氏というのは、作風を使い分けることのできる器用な人なのでしょう。その花房浩一氏の話によると、この本は、2年もの歳月を費やして翻訳したにもかかわらず、出版社側が全然プロモーションをしてくれずに初版だけで終わってしまい、その発行部数は僅か2,838冊だったという。
そりゃ売れないでしょう。哲学書並に難解で文章量が多くて全然万人向けに書かれていないもの。一部の物好きな変人か研究者ぐらいしか買わないでしょう。この本をやっとのことで読み終えて、何となく書いてあることが理解できたという人がいれば、まだ増しな方で、世間一般の人にとっては難解過ぎて、途中で匙を投げて読むのを諦めるでしょうね。
ビリー・ブラッグ(Billy Bragg)との個人的付き合いが切っ掛けで翻訳に至ったという、ある意味、出版社にとっては迷惑な(笑)、訳者の極めて自己満足的・自慰行為的な本なのだが、よく企画が通ったなあと思いましたね。それに、もし私が訳者の立場だったら、こんな娯楽性の欠片も無い堅い本、自分から進んで訳そうとは思わないもの。それを2年もの歳月を費やして翻訳して出版まで漕ぎ着けた花房浩一氏というのは、愚直と言うか、やはり尊敬に値する凄い人なんですよ。
さて、肝心な本の内容ですが、この本は、エルヴィス・プレスリーの50年代からU2の90年代まで、欧米と第三世界における左翼政治的なロック・ミュージックについて書かれた一大長編です。中には『ポール・ウェラー - マイ・エヴァ・チェンジング・ムーズ』 ジョン・リード (著)や『レゲエ入門』 牧野直也 (著)、『2トーン・ストーリー(日本の出版社が勝手につけた誤解を生みそうな邦題)』 デイヴ・トンプソン (著)などに書かれている内容と交差していて、ネタが被っている部分が多分にありますが、そういう世界が一体となって同時進行で団結(我が国のドキュソOiが「気分ラジカリズム」で叫ぶ、空虚で実体の伴わない「団結」ではなくて、反人種差別や炭坑労働者のストなどの現実問題に呼応した「団結」)して政治的な問題と戦っている場面を見せられると、「経済は一流だけど政治は三流」などと言われている、我が国のロック・ミュージックは完全に別物であって蚊帳の外に置かれているんだなという、やり場の無い憤り、空しさ、悔しさを覚えました。
この本を読むと、やはり、『2トーン・ストーリー - スペシャルズ~炎に包まれたポスト・パンク・ジェネレーション』 デイヴ・トンプソン (著)は、あの無知なエセ翻訳家じゃなくて、花房浩一氏が訳すべきだったと痛感せざるを得ない。あと、大変嘆かわしいのは、この本が絶版されているのをいいことに、この本の美味しいところだけを引用して二次利用して、漁夫の利を得て、『アイデンティティの音楽 - メディア・若者・ポピュラー文化』みたいな、箸にも棒にもかからない焼き直し(パクリ)の本を書いて印税を稼いでいる大学教授がいるということです。
従って、オリジナルの翻訳者である花房浩一氏に敬意を表し、2年もの歳月を費やして翻訳した労をねぎらう為にも復刊リクエスト同盟か何かで署名を集めて、ぜひ復刊して欲しいです。"United We Stand"だとか"Divided We Fall"などと言っている日本人で、この本を読んだことが無い奴がいたら、そいつは、ただの潜りでポーザーだな(笑)。
P.S. 「バーニー・ローデス」は名前の読み方を間違っていますよね?
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