1953年大阪生まれ。英国パブリックスクール修了後、国際基督教大学卒。「フルハム」でも「フラム」でも「フルアム」でも、そんなのどうでもいいことなのだが(笑)、マークス寿子、林望、井形慶子といった英国礼賛三馬鹿トリオにも似た、そのお高くとまった作風が気に障る。
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『フーリファン 傷だらけの30年』
マーティン・キング (著), マーティン・ナイト (著), 東本貢司 (翻訳)
(広済堂出版)
チェルシーのフーリガン集団、「ザ・シェッド(後にヘッドハンターズ)」で活躍していた著者の自伝です。上記のミッキー・フランシス(著)、『ガヴナーズ(邦題:フーリガン 最悪の自叙伝)』と比べると、こちらの本のほうが描写が詳細で文章が固い感じがします。訳者の東本貢司というのは、日本のサッカー言論界では有名な人で、青春時代をイギリスのパブリック・スクールで過ごしたらしいです。まあ、下手に知識の無い翻訳家に無理やり訳されるよりはマシだと言うことですね(ただし、どこの国でも翻訳本というのは誤訳が付き物なのですが)。
表紙の、警官に連行されているスエードヘッドの若者が思わせぶりですが、Skinhead Cultに関する描写は、リチャード・アレンの小説のことや、いわゆるスキンヘッド・レゲエや
ベン・シャーマンだとかのファッションなどについて、ほんの申し訳程度に書かれているだけで、その内容の大半は殴ったり蹴ったり物を投げたりの、フットボール・ギャング達の抗争劇です。イギリスのフットボール・チームについて予備知識の無い人にとっては、眠くなるような本だと思います。また、登場人物が横文字だというのは、読んでいて誰が誰だか分からなくなってくる感覚が外国の小説と一緒で、それに加えて、イギリスの地名がかなり出てくるので、イギリスを旅して回ったことのない人、イギリスで生活したことの無い人、土地勘の無い日本人が読むのは、ちょっと辛いかなと思います。
面白いのは、最後の方で、『フーリガン戦記』は、アメリカの教授が書いた信憑性の薄い作り話だとか(道理で、LRFの某氏が「食指が伸びない」と言っていた訳だ)、他のフーリガニズムについて書かれた本を当事者の立場から批判・批評しているところです。『ノウイング・ザ・スコア』、『スティーミング・イン』、『エヴリウェア・ウィ・ゴー』、『キャピタル・パニッシュメント』、『ダービー・デイズ』など(全部洋書だけど、Amazon.co.jpで入手可能です)、中でも、ミッキー・フランシスの『ガヴナーズ(邦題:フーリガン 最悪の自叙伝)』は、最高の一冊だと言っています。
現在、テラス(立ち見)席の廃止、全席指定システム、監視カメラ(CCTV)によってフーリガニズムは廃れているという。この本は、一言で言えば、フーリガンにとっての古き良き時代(暴力は酷いけどね)、パパが娘に教えたくない昔話です(「パパはね、(フーリガンじゃなくて)フーリファンさ」という台詞が物語っていると思う)。
『イングランド 母なる国のフットボール』
東本貢司 (著)
(日本放送出版協会)
The GriffinやLRFの歌詞を読んで、イングランドのフットボールに興味を持った人にとっては恰好の入門書ですね。といっても、幸か不幸か、イングランドのフットボールについて専門的に語れる人が我が国において、この東本貢司しかいないという(苦笑)。いわば独占禁止法にでも引っかかるのではないかと思われるほど、この世界では、この人が幅を利かせています。しかも、文章にクセがあって、ナルシストだからタチが悪いんだよね(笑)。それだけに、この人に対する世間の風当たりは強いです。例えば、「某数字ちゃんねる」などを見ると叩かれていて、この人を擁護する意見は稀で、「実況の下手な、経歴の怪しい、サッカー経験の無い、単なる蘊蓄野郎」としか思われていません。
確かに、著者が高校時代に4年間留学していたという「パブリック・スクール」は、良家の子息が寮生活をしながら通う学校で、今はどうか知らないが、「フットボール」は労働者階級のもの、上流階級は「ラグビー」と昔から相場が決まっていたイングランドにおいて、著者にサッカー経験がないというのは無理も無いことなんですよ(だから、「パブリック・スクール」に留学したことがあるという肩書きは、フットボール・ジャーナリストとしては、ある意味、マイナス要因でもある訳だ)。さらに、この著者の場合、もともと新聞記者だったわけでもなく、他業種のサラリーマンから、その蘊蓄だけで、いきなりジャーナリストになったことで皆の反感を買っているのでしょう。
行き当たりばったりで書いているせいか(?)話題があちこちに飛んでいて、しかも、文章の書き方に独特なクセがあって総括しづらいのですが、後に出版された著者の『フットボールと英語のはなし Saturday in the Park』と全く同じ内容がニ三、この本に書かれているのは、この本でネタを全部出尽くしてしまったことを表しているのか、「あとがき、もしくは謝辞」に書かれていたこととは裏腹に、同書が如何に粗悪な便乗商法であったかを物語っています。
第6章「フェアプレーの中身」は面白かった。文化の違いというか、狩猟民族の強さがわかった。しかし、如何にフットボールのルールが曖昧かを表しているよね。「繰り返すが、ルールを取り締まるレフリーは、元より生身の人間、そのときの精神状態にも左右されつつ、判断基準が一定しないものである。そして、それでいいと思う」って、ちょっと待ってくれ。そんなのミスター高橋と言ってることが一緒じゃないですか(笑)。そういう見地から言うと、『アーロン収容所』 会田雄次(著)を引き合いに出すまでも無く、イングランド人の潜在意識の中には人種的優越感があるから、日本人選手なんて、イングランドのリーグでプレーする場合は不利なんじゃないのかな。
第8章「アイドルネームの意義」においては、なぜアーセナルが「ガナーズ」と呼ばれるのか、リヴァプールが「レッズ」でチェルシーが「ブルーズ」といったような、ファンが日頃当たり前のように使っている、それぞれのクラブ・ニックネームについて解説しています。「クラブ名→アイドルネーム→その意味(裏の意味)」の一覧は、初心者にとっては大変参考になります。
イングランドのフットボールの歴史やリーグ構成の説明など、残りの事務的な話は、『ロングパス サッカー誕生から英国プレミアリーグまで』 林信吾 (著)と内容が重複しています。ただ、あの本と大きく異なる点は、俺は通だぞと言わんばかりに、著者お得意の横文字だらけの蘊蓄披露が、これでもかと続き、最終的には、初心者にとっては何が書いてあるのか、さっぱりわからないところでしょう。
『フットボールと英語のはなし Saturday in the Park』
東本貢司 (著)
(三省堂)
Englandの「フットボール」と「英語」にこだわる、某Footy兄弟が見たら飛び上がって喜びそうな表題ですね(失笑)。しかし、その期待は見事に裏切られます(苦笑)。実際、英字新聞を毎日読んでいる英語上級者の私ですら、その表題に釣られてワクワクしながら読んでみたのですが、首を傾げるような内容の本でした。
思えば、『フーリファン 傷だらけの30年』の翻訳文でも、その片鱗をうかがわせていたんだが、この東本貢司という人が書く文章というのは、くどくて難解で、少し格好つけすぎじゃないのかね? この本の著者は、自分が日本人であるにもかかわらず、そこから飛躍して、当の英国人でもない、どこの国の人間でもありえない立場から日本の有り様について指摘するという、福田和也先生が言うところの「国際派エセ左翼」です。日本がFootball後進国で発祥地のEnglandに見習うべきところが沢山あるのは仕方がないとしても、書いてある内容と言えば、イギリス英語を日本国の公用語にせよと言わんばかりの愚痴で、これじゃ西洋コンプレックス丸出し、「英国を殊更に素晴らしい国に仕立て上げ、日本を卑下する」という手法の、林望・マークス寿子・井形慶子らの手合いが挙って世に出している馬鹿「英国礼賛・日本批判」本と、やってることが同じではないかと思うのですが。
英国人は、アメリカ人の喋る英語を"Cowboy English"だとか「田舎者の英語」だとか言って馬鹿にする嫌いがあるが(その逆は、あまり聞いたことがない)、別に我々日本人が学校で習ってきたアメリカ英語を、わざわざイギリス英語に直す必要は無いんじゃないかと思います。皮肉なことに、英国人やオーストラリア人が日本の(インチキ)英会話スクールで指導する際に、アメリカ英語で苦労しているという話を聞くし。日本はアメリカの植民地みたいなものだから、日本人が使う英語がアメリカ英語なのは当然なんですよ。グローバリズムで、今やアメリカが世界の中心にいるわけだし、自ずとアメリカ英語が主流になってくるでしょう。まあ、この辺の事はBill Leckie氏に、ぜひ聞いてみたいところですけどね(失笑)。
恐らく、「フットボール」「英語」ともに、初心者にとっては敷居が高すぎて書いてあることが理解できない、上級者にとっては取り立てて凄い発見もなく物足りなさを感じるという、「帯に短し襷に長し」の本だと思います(まあ、この本の著者は、大した語学力・洞察力があるようには見えないのですが)。三省堂というと、重い辞典を学校へ持って行くのが億劫な、勉強嫌いな学生ならば誰しもが持っている小型の英和辞典、「コンサイス英和辞典」の会社として有名ですが、この本は英語の実用書にもなっていないんじゃないかと思います。アマゾンのカスタマー・レビューを見ても、あまり評価は芳しくないし。ぶっちゃけ、この本、売れていないんじゃないのかね? 「あとがき、もしくは謝辞」の中で書かれていることが嘘になっちゃうよな(失笑)。
『スティング』
スティング (著), 東本貢司 (翻訳)
(PHP研究所)
あのピーター・バラカン氏が「スティングの目つきのどこかが気持ち悪い。それだけの理由でイマイチのめり込めないミュージシャンだが・・・」と『ぼくが愛するロック名盤240』の中で語っていましたが(笑)、80年代の整髪料を思わせるダサい装丁。しかも、黒と黄色の縞模様のシャツをステージで着ていたことから「スティング(蜂の針)」と呼ばれるようになる、というところからヒントを得て作ったと思われる黒と黄色のツートーン・カラー(笑)。裏表紙には、すっかり髪の毛が後退して老けてしまった著者の姿が・・・。このように日本サイドで勝手に差し替えた装丁は失敗作なのだが、肝心な本の中身はというと、東本貢司氏の翻訳の仕方が良かったのか、著者のスティングに元々文才があったのかは知らないが、まるで映画を見ているかのような瑞々しい、素晴らしい出来でした。もし、ゴースト・ライターが書いていないとしたら大したものです。
自称労働者階級で優等生(しかしながら大学進学を断念)のグレン・マトロックの与太話に比べると、スティングのほうが圧倒的に知的で小説家としての素質がある。また、「訳者あとがき」で語られているポール・ウェラーがイングランド南部出身であり、父親のサポートを基に音楽一筋の人生を歩んできたのに対して、スティングは貧しいイングランド北部の牛乳屋の息子でありながらも、勉強もできて読書家でもあった。貪欲に音楽活動にのめり込むが、音楽だけでは食えないので、仕方なく税務署に勤めたり、肉体労働をしたり、教員養成学校へ行ったり、高校教師をしたり、ロンドンへ上京しても音楽活動の傍ら役者をしたり、回り道をしながらも自分の夢を諦めずに追い続け、今日の成功までに至るという、まるでアメリカ人の好きそうなサクセス・ストーリですね。初めての射精体験も赤裸々に告白されている、いわゆる私小説です。
ただ、著者の長いキャリアの割りには内容がスッキリしていて、端折っている部分がかなりあるのではないかと思いました。ポリース(ハイ、こう発音するのです)はパンク・ニューウェイヴで語られるバンドだが、どちらかというと産業ロック的でパンク・ムーヴメントに便乗して登場したような感がありますが、ポール・ウェラーの本と違って、やはり、その辺のパンク・ニューウェイヴのことは余り多く語られていません。三本目の出演映画、『さらば青春の光(Quadrophenia)』は、「ウォーダー・ストリートのザ・フーの事務所に顔を出したときは、実際、さして期待もせず、と言うより、役を欲しいという情熱自体がなかったと言った方がいいかもしれない。ピッパに頼まれたから行ったのである・・・」とスティング本人が語っているように、この本の中では、イモが騒ぎ立てるほどの重要な要素ではありません。日本に関する記述も全くありません。
御多分に洩れず、この本の中でもイギリスの辛辣な音楽ジャーナリズムが登場するが、
・・・やっとリリースされた<フォール・アウト>はUKでそこそこの評価を得た。フランスの音楽週刊誌は「シングル・オヴ・ザ・ウィーク」に選出し(アンリがフランス人だからという事実が影響したのかどうかはわからない)、ラジオ・クライドも「レコード・オヴ・ザ・ウィーク」に取り上げた。予想できたことだが、マーク・Pと権威ある機関誌『スニッフィング・グルー』は、マイルズのドライデン・チェインバーズと”同廐”のくせに、ゴミだと言った。結局<フォール・アウト>は4000枚の売り上げに終わった。・・・
ここでも伝説のマーク・Pと彼の『スニッフィング・グルー』の名前が出てきました。しかも、その後、スティングは、マーク・Pに雑誌でレコードを扱き下ろしたのは気に入らないと言いながらも、請われるままにベースを貸し与え、彼のバンドと共演しています。
それに引き換え、近年、我が国は、国際化などと馬鹿の一つ覚えの如く騒いでいる割りには、果たして、ある商品に対して「ゴミだ」と言うことのできる「言論の自由」は存在するのでしょうか(渋谷陽一氏が昔、「ヘヴィー・メタル・ブームはゴミじゃ!!」と言ったことがあったけどね)? ほぼ単一民族で皆が同じじゃないと気がすまない、横並びで目立たないように目立とうとする、ジャーナリズムという横文字だけ輸入してきて表面的に取り繕っただけの幼稚な国とは大違いですな。『スニッフィング・グルー』は、いわゆる「ファンジン」ですが、日本人が作った「ファンジン」と称する馴れ合いの為のオナニー小冊子と違うところがここなんですよ。イギリスでは「ファンジン」ですら、このような調子で扱き下ろし、大手音楽雑誌の歯に衣着せぬ批評は言わずもがなです(タワレコのボンクラ店員がパートタイムと称し、片手間で加勢して作っているような、「気分ラジカリズム」の商品カタログとは違うということですね)。こうやってイギリスのバンドやアーティストの本を読んでも、我々日本人が、真の音楽ジャーナリズムがどういうものかを垣間見る機会が多々ある。商品の宣伝しかできない日本のエセ評論家も馬鹿雑誌も、いい加減、それに気づいて紙面を変えろよ。
この本は、ポリース、スティングのファンの方、イギリス大好き馬鹿女は勿論、そうでない方にもお勧めします。ただ、気になったのは、東本貢司氏は英語の発音にこだわって「マイクル」とか「ダイレクター」とか表記しているにもかかわらず、ピーター・バラカン氏のように"Police"を「ポリース」と書かないのは何故なのかということです(英語表記にこだわるのならば徹底してやってくれということです)。
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