BOOKS
Mods!
Richard Barnes
Plexus Pub 1989-09-26
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これを知らない奴がいたら潜りじゃないかというくらい使い古された、有名なModsの白黒写真集です。初版は、Mod Revival(オネ・モッズとかいうダサい呼び方は日本でしか通用しないので使わないように)の切っ掛けとなった映画、"Quadrophenia(邦題: さらば青春の光)"が封切られた1979年に、Eel Pie Publishing LtdというPete Townshendの出版社から発行されています。しかしながら、掲載されている写真は、60年代半ば頃のOriginal Modsのものだけとなっています。写真の中にはThe Whoのメンバーが服を試着したり、BrightonにあるPalace Pierの入り口でポーズをとっていたり、Small Facesのメンバーが写っている写真もあります。
まあ、インターネットなんて無かった一昔前までは、この本がModsを知るための唯一の本だったから仕方がないのだろうけど、Modsについてファッション、スクーター、ライフ・スタイル、音楽、ドラッグ、Rockersとの抗争・暴動など、一通り解説している英文を読むと、黒田マナブさんの一派が後に、かなり、この英文解説からネタをパクってきてModsの本を書いていることがわかります。
Modsというのは一言で言うと、大量消費社会の中で労働者階級が見栄を張って背伸びしているというか、浪費家でプチブルだな。だから、お金が無いと出来ないんですね。あと、一口にModsと言っても、
Modernists, Mods, Faces, Stylists, Individuals, Numbers, Tickets, Mids, Mockers, Seven and Sixes, States, Moddy Boys and Scooter Boys...
などの細かいランク分けがあったそうだ。しかし、その当時の英国では、基本的にModsかRockersか、そうでないか、しか選ぶことが出来なかったらしい。
掲載されている写真を見て感じたことは、Brightonの風景が、Pierがあって水族館があって、60年代半ばと俺が行った時とでほとんど変わっていないところか。あと、確かにModsはR&BだのSoulだのSkaだの、その当時、最先端だった黒人音楽を好き好んで聴いていて、ミュージシャンが写っている写真には黒人がいるのだが、群集の中に有色人種は一人もいない。白人しか写っていなかったところです。結局、その当時の英国では、黒人は見世物というか動物園のサル状態だったんじゃないのかな。60年代半ばの英国が現在ほど移民が沢山いたわけではない事実を考慮しても、詰まる所、Modsというのは白人至上主義の文化じゃないかと思った。それは、英文解説の中で黒人のことを"Negro"と表記しているところからも判断できる。だから、いくら黒人音楽を好き好んで聴いていたからとは言っても、黒田マナブさんのように、Modsは人種差別をしなかったとは言えないと思う。アメリカの黒人の公民権運動も、ちょうど、この頃だしね。
今時、こんなコピーを重ねたような骨董品の写真集を参考にしている奴がいたら、そいつは時代錯誤なドキュソ・モッズですね(笑)。"Mod a Very British Phenomenon: Clean Living Under Difficult Circumstances" By Terry Rawlings & Richard Barnesという、もっといい本があるので、そっちを買ってください(俺は、この本は、偶然、ManchesterのVirgin Mega Storeで見つけたんだけどね)。あとは、知ったかぶりの日本のエセ評論家なんかに頼らないで、自分でAmazon.co.ukなどでイモヅル式に関連書籍を探してください。何? 英語が読めないだって? Modsより先に英語の勉強をしたほうがいいね(苦笑)。
ファシズム―昨日・今日・明日
ワルター ラカー W. Laquer 柴田 敬二
刀水書房 1997-05
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所詮は、翻訳調の文体で堅苦しいことが書かれている退屈極まりない本なんだけど、「第二部 ネオファシズム」に「スキンヘッド」という比較的詳しく書かれた項目があったので一応紹介しておきます。そこに書いてある内容は、参考文献からの孫引きといった感じですね。巻末の"Bibliographical Note"に、
On Nazi rock, skinheads, and soccer fans, see M. Annas and R. Christoph, eds., Neue Soundtracks fur den Volksempfanger (Berlin, 1993); G, Marshall, Spirit of '69: A Skinhead Bible (Dunoon, 1991); and K. Farin and E. Seidel Pialen, Skinheads (Munich, 1993)...
と書かれているので、恐らく、それらの書物から引用しているのでしょう。ただ、著者・翻訳者が専門家ではないので、"Skrewdrivers(複数形のsは不要)"だとか"Aggravader, Assault(正しくはAggravated Assault)"などの誤字があるのが悲しい性ですが。そのAggravated AssaultやBound for Gloryというのは、Mitch SxE氏が昔やっていたDivided We FallというバンドのThanks ListならぬFuck You Listに掲載されていたアメリカの有名なナチ・スキンヘッド・バンドです。そのListの文末に自分の住所と時限爆弾でも何でも送ってこいやみたいな過激なことが書いてあったのを覚えています(笑)。最近では『DOLL』の軍門にくだって、ミイラ取りがミイラになってしまったようなMitch SxE氏ですが、昔は反人種差別・反ナチに燃えていた時期があったんですね。
『ファシズム』というからには日本のことも書かれているだろうと思って、興味津津で読み進めていくと、「訳者あとがき」の最後に断り書きがしてあって、なんと酷いことに、その読みたかった個所を翻訳者が独断で勝手に割愛している旨が書かれています。誤字、誤訳、勝手に編集して削除するなど日常茶飯事。だから俺は翻訳本というのは嫌いなんだよ。
ネオナチと極右運動―ドイツからの報告
フランツィスカ フンツエーダー 池田 昭 浅野 洋
三一書房 1995-12
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原題は、"Franziska Hundseder: Rechtsextremismus 1993"。さすが大学の先生が翻訳しているだけあって、翻訳調の日本語で書かれていて、その内容の大半は、政治団体や組織などの固有名詞の羅列に終始しているといった感じで読んでいて退屈極まりない。しかし、特筆すべきは、「IV 右翼の暴力」の「スキンヘッズとフーリガン」の項か。日本で刊行されているネオナチに関する本というのは極めて少ないのだが、この本は、その中でも唯一、極右のロックバンドについて詳しく書いてある本です。
ネオナチの状況は、全体としてまだ人目を避け、しばしば報道機関や一般大衆に気づかれないように行動しているといってよいが、ある集団には誰もが気づいている。それはスキンヘッズである。彼らはいち早く「ドイツ人でない人間」のすべてにむき出しの暴力をふるい、議会の右翼幹部が、戦闘的なハゲ頭たちに対しまだ突き放した立場をとってはいるが、当のスキンヘッズは水運び人の役を果たし、右翼の局外にいる突撃隊である。
とくに極右のロックバンドは、スキンヘッズの頭に、ドイツの名声と「プロセインの栄光」―これはあるスキン雑誌のタイトルでもある―に関する曖昧なスローガンを意識的に叩き込んでいる。
これらのなかげ最も有名なロックバンドで、同時に流行の演出者は、イギリスのアイアン・スチュアートが参加している「スクリュー・ドライバー」である。彼らはヨーロッパ中でコンサートを催しポーランドでも演奏し、1991年のブレスラウ(ポーランド)での演奏後、「民族主義戦線」の貼り紙を貼り、家々の壁にはスプレーでケルト十字を残して行った。・・・
Note: 突撃隊というのは、恐らくSAのことだろう。我が国の同名のドキュソOiバンドには一刻も早く改名を薦めます。洒落にならないから。
と言って、ニュルンベルクのグループ「ラジカル」が歌う曲、「ドイツの救世主」とロックバンド「最終勝利」のデモテープに入っている「外人野郎の歌」の歌詞の紹介とスキンバンドのリストが続くんだけど、ここで、『われらスキンヘッズ』に挿入されていたトルコ人蔑視の歌詞がロックバンド「最終勝利」のデモテープに入っている「外人野郎の歌」の歌詞であることが判明しました。そんなデモテープなんていうマイナーな媒体から引用していたのか(笑)。
リストに掲載されているバンドの中で名前を聞いたことがあるのは、フランスの「エヴィル・スキンズ」、スエーデンの「ウルティマ・トゥーレ」、ラバウケン(エアクラート)くらいですかね。しかし、いまから12年前の1993年に原書が刊行されているので無理もないのだが、ここに掲載されている情報は完全に賞味期限切れで使えませんね。「ロック-オ-ラマ Rock-o-Rama」、「ヴァルツヴェルク Walzwerk」、「スクル・レコーズ Skull Records」といった如何わしいレーベルも完全に消滅しているし、現存しているのは、大阪のGruesomeがレコードをリリースしたことのある「DIM - レコード」(コブルク)くらいか。西新宿の某馬鹿レコード屋では、それら人種差別・白人至上主義のCDを、客の足下を見て今でも売ってんのかな?
しかし、いわゆるファンツィネス、つまり『ファン-マガジン』の名前の紹介において、『異端雑誌 フロンタール』、『クロック・オレンジ』、『S-Z スキンヘッズ新聞』、『禿頭レポート』、『北風』、『ときの声』、『死者の首』、『オーダールのルーネ文字』、『暴徒仲間』といった支離滅裂な直訳は何とかならなかったんですかね? 『2トーン・ストーリー』を翻訳したエセ翻訳家じゃないんですから(笑)。
われらスキンヘッズ
マリー ハーゲマン Marie Hagemann 天沼 春樹
ほるぷ出版 1994-06
売り上げランキング : 901,964
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原題は、"Schwarzer, Wolf, Skin" by Marie Hagemann。1993年頃のドイツ国内で起こった実際の事件に基づいて書かれた児童文学小説なのだが、筋書きは『フーリガン戦記』 ビル・ビュフォード (著)内の「第二部 ベリー・セント・エドマンズ」を引用したような感じというか、映画『アメリカン・ヒストリーX』そのもの。従って、ステレオタイプな感は否めないが、ドイツは日本と違ってネオ・ナチに対して厳しいことがわかる。
ネオ・ナチは当局に見つかるのを恐れて地下室で隠れてコソコソと活動しなければならないのだが(法律で禁じられているのは言うまでもない)、そこが戦争責任を曖昧にして、なあなあですましてきた我が国とは大きな違いだ。だから、もしドイツで先の大戦を、我が国のジャリタレ女の子バンドみたいに八紘一宇などと称して美化するバンドがいたら、間違いなく聴衆からは袋叩きにあうし即行で発禁ですわ。そもそも、そんな全体主義のファシスト・バンドが皆から支持されて大っぴらに活動できる訳がないんですよ。アングラで活動せざるを得ないんですね。
そう考えてみると、日本は甘いよね。日の丸をつけて黒ずくめの格好して、神風特攻隊を美化する歌を歌ったり、観客がナチ式敬礼をしても誰も文句を言わないんだから。みんながそれについて何の疑問も持たずに全体主義で乗っかってるところがあるよね。変だなと思って文句を言うのは、恐らく在日外国人くらいでしょう。左翼を気取ってる我が国のクラスト連中ですら事勿れ主義で何も言わない。日本にRock Against RacismやAnti Nazi Leagueのようなものができるのは、夢のまた夢みたいだな(苦笑)。The Oppressedの来日公演は中止になって、エセSHARPはポシャったみたいだけどさ(笑)。
通りに立って、みはってる
トルコ人どもが来ないかと
そいつに一発食らわせろ
おれの番がくりゃまよわずに
そいつに一発くらわせる
トルコ人なんかへでもない
きたねえしけた豚野郎さ
いつもニンニクを食らってる
メス豚みたいにいやな臭い
あいつらはドイツにやってきて
ただでのんびり暮らしてる
ここでやつらが作るのは
糞の山くらいのもの
みたらすぐにやっちまえ
ほかにいい手はありゃしないトルコ人どもよ、おまえらはなにをしてくれた
トルコ人どもよ、どうして俺を怒らせる・・・こうした挿入されている歌は現実にドイツにあったものの中から取られているそうだが、「トルコ人」を在日○○人、「豚」「メス豚」をキムチ、「ドイツ」を日本に置き換えて考えてみてください。幸いなことに、私の知る限りでは、上記のようなえげつない人種差別ソングを歌っているスキンヘッド・バンドは我が国には存在していないが、今後、近隣諸外国からの移民が急増し、失業問題が悪化すると、ドイツやイギリスのように暴力と移民排斥が跋扈し、気分ラジカリズムで大和魂だとか神風だとか八紘一宇だとか歌っているバンドが暴走しないとも限らない。この本に書かれていることは、決して対岸の火事で済ましてはならない。ジョー・ストラマーがどうのこうのなどと言っている日本人は、人種差別ソングが作られる前に止めなければならない。作られてしまってからでは、もう遅い。
問題:「オイ・スキン」、「ファッショ・スキン」、「パルタイ・スキン」の違いを述べよ(答えは、この本の中に書いてあります)。
P.S. この本を読むとSA(突撃隊)というのが、ネオ・ナチにとって重要語・頻出語で、かなりヤバイ名称であることがわかる。我が国の同名のドキュソOiバンドには改名を薦めます。洒落にならないから。地獄に落ちますよ(笑)。
"Blood in the Face" by James Ridgeway (PAPERBACK)
From Publishers Weekly
Village Voice correspondent Ridgeway ( Powering Civilization ) traces the evolution of the "racialist right" in American politics up to George Bush's bid for the presidency, which, the author asserts, had the issue of race at its very foundation. With startling detail, this volume sets forth the violent histories of such organizations as the Ku Klux Klan, founded in 1866 by six former Confederate soldiers; the John Birch Society, an anti-civil rights group masquerading as an anti-Communist force; and the Posse Comitatus, whose members gather in posses to "protect" the white race from the scourge of Jews, blacks and other minorities. Examining their influence on the political climate of the U.S., Ridgeway profiles such leaders as David Dukes, the former head of the Knights of the Ku Klux Klan in Louisiana who ran for the Senate in 1990. Readers may feel overwhelmed by the amount of information this fascinating book imparts, and less than smooth transitions give the work a scattered feeling. As a result, Ridgeway's conclusions--including the obvious one that with the Cold War over, race will increasingly define "the social contours of society"--are more general than incisive. Illustrated.
Copyright 1991 Reed Business Information, Inc.
"Cass" By Cass Pennant
"Casual" By Gavin Anderson
『クラッシュ伝説 THE CLASH』
ジョン・トブラー&マイルズ (著), 中江昌彦 (翻訳)
(JICC出版局)
当時、JICC出版局から刊行されていた『〜伝説』というタイトルの本は、この『クラッシュ伝説』の他にも、『セックス・ピストルズ伝説』、『ラモーンズ伝説』なんかがあって、昔の『宝島』というのは、センセーショナルなパンク・ネタを売りにしていた媒体だったんだよね。かく言う私も、『DOLL』じゃなくて、その『宝島』でパンク・ハードコアというものを知りました。その後、どういう訳か、ただのエロ雑誌になってしまい(笑)、現在は、どんな風になっているのかは読んでいないのでわかりません(先日、コンビニでチェックしてみたら、何とビジネス雑誌になっていました。そのフットワークの軽さは、十年以上体裁が全く変わらない零細同人誌の『DOLL』も見習ってもらいたいです。雑誌『宝島』の遍歴については、こちらを参照)。
この本は、一言でいうならば、とても簡略化されたThe Clashのヒストリーというか、偉大なバンドThe Clashを語るには圧倒的に文章量が少なくて内容が薄いです。翻訳も拙く粗が目立ちます(この中江昌彦という訳者は翻訳が下手だね)。文章以外にも、随所にThe Clashの白黒写真が挿入されていて、それも売りのひとつなんだろうけど、掲載されている写真はどこかで見たことのあるものばかりで、多分、Pennie Smithによる"The Clash: Before & After"と、かなり被っているんじゃないかと思います。見たことが無いので断言できないけど。
JICC出版局は、この本が出版された1990年、ちょうどバンド・ブームの頃に、『バンドやろうぜ』という中高生向けのミーハー雑誌を出していて、この本は、それらの読者を対象にして翻訳出版したような感じです。従って、内容が薄いしぎこちないのでしょう。Amazon.co.jpの「マーケットプレイス」で、この本を3,500円で売っている手合いがいますが、買わなくてもいいですよ。私個人としては、この本一冊に、それだけの価値は見出せませんでした。
・・・バンドに続いて、学校やオフィスのコピー機を使った小部数のファンジン(ファン・マガジン)が各地に誕生した。マーク・Pの編集による「スニッフィン・グルー」も初期のファンジンの一つだが、これをモデルに、奇抜なレイアウトのファンジンが続々と登場することになった。・・・ファンジンの名前は、ふつう、曲名あるいはグループ名から取ったものが多い。辛辣なレコード評と、読者が自分たちの雑誌かバンド、あるいはその両方を作ることをうながす編集者の意見を載せたファンジンは、たんなるファン・マガジン以上の役割を果たしていた・・・
我が国でも「ファンジン」などと称して、インチキなレーベル運営者や成りたがり屋のミーちゃんハーちゃんが、時々それに似ても似つかない小冊子を発行して、周りの馬鹿から持ち上げられて小遣い稼ぎしているが、本当の「ファンジン」がどういうものかを痛いほど良く知っている私から言わせてもらうと、彼らは笑止千万ですね。肝心なところを勘違いしているんじゃないかと思います。
まず「ファンジン」というのは、書いて字の如く「ファン」の雑誌であるから、レーベルとそれに順ずるバンド関係者が作っている自己宣伝のためのオナニー小冊子は「ファンジン」とは呼ばないんですよ。「ファンジン」は、バンド関係者から利益供与のない、利害関係のない、公正中立な立場の第三者が作らなければならない。あと、これは『ポール・ウェラー マイ・エヴァ・チェンジング・ムーズ』 ジョン・リード (著)にも書いてあった「ファンジン」についての共通した認識なんだけど、「辛辣なレコード評と、読者が自分たちの雑誌かバンド、あるいはその両方を作ることをうながす編集者の意見」が書いていないものは「ファンジン」とは呼ばないんですよ。
日本人が作った「ファンジン」と称するものを覗いてみると、「辛辣なレコード評」も「編集者の意見」も書かれていない。それもそのはず、日本には真の「言論の自由」も「表現の自由」も存在しないからね(The Avoided "Taboo"の歌詞を参照)。「辛辣なレコード評」なんて書いたら、金を支払っているファンよりも金を支払って頂いているバンド関係者のほうが力が強くて傲慢かまして威張っているという、狂った日本のパンク・シーンにおいては、暴力で恫喝・脅迫して潰されるのがオチだから誰もやろうとしないんだよ。「個人主義」の国と「全体主義」の国の違いかな。日本は「個人主義」の国じゃないからさ。
結局、日本のパンク・シーンというのは、人間関係が過度なまでに濃密で、常に序列とか力関係といったものに気を配って生きて行かねばならず、阻外されることが何より怖いという「ムラ社会」であり、コネと情実に基づく人間関係でしかないということなんだね。そして、バンド関係者が傲慢かまして威張っている、全体主義で中央集権体制の『DOLL』を中心とする、消費者が批判をすると暴力で恫喝・脅迫して潰しにかかる「恐怖政治」でもあるわけだ(失笑)。
それはさ、ある意味、ジョー・ストラマーが、この本の中で言っている「ファシストの政府」であり、
おれたちは都会派ゲリラを気どってるわけじゃない。おれたちの武力はかぎられている。おれたちは何かが起きる雰囲気を作り、自由社会の精神を守りたいんだ。無難で女々しい愚痴や泣きごとをラジオから締め出したいのさ・・・
と言ってることと見事に一致しているんだけどね。「ジョー・ストラマー、クラッシュ大好きです。僕たちのバンド名は、ジョー・ストラマーの名前から拝借しました」と言うのも結構だけど、そのバンドが所属している日本のパンク・シーンの肝心要なメンタリティが、ジョー・ストラマーの忌み嫌う「ファシストの政府」そのものじゃ、こっちは鼻白むわな。
ここまで読まれて、お気づきの方もおられるとは思いますが、「辛辣なレコード評」は勿論のこと、「読者が自分たちの雑誌かバンド、あるいはその両方を作ることをうながす編集者の意見」も書いてある、我々『DOLL Q』こそが、イギリス人が言うところの本当の意味での「ファンジン」なんですよ。そういう意味で考えると、日本で「ファンジン」と言ったら、この『DOLL Q』以外、有り得ないんじゃないかな(失笑)。
日本人って、「言論の自由」とか「個人主義」といった、自由主義社会にあって然るべき根本的な概念が欠落しているんだよね。そんな「言論の自由」とか「個人主義」なんて、誰から言われなくても、国や学校が教えてくれなけりゃ自分で勉強して、一人一人が常識として持っていろよと言いたいんだけどさ。珍走団みたいなメンタリティを持った輩には無理か(失笑)。「個人主義」とは、個人の自由と権利を認める代わりに、責任と義務を課すものである。
この本に限らず、上述のポール・ウェラーの本でもそうだったけど、極端な言い方をすれば、あるバンドがいたら、いつそのバンドを扱き下ろしてやろうかと虎視眈々と狙っているのが本当の音楽ジャーナリズムというものなんだよ。例えば、朝日や毎日などの日本の大新聞と呼ばれているものは、「事勿れ主義」で言いたい事も言えずに、本当の意味でのジャーナリズムではない、取材記者が体を張って取ってきたスキャンダルやゴシップ記事などを売り物にした日本の女性週刊誌みたいなのが、欧米でいうところの本当のジャーナリズムであると、「キツネ目の男」で有名な宮崎学氏が言っていたが、その通りで、この本の中でも、音楽評論家と呼ばれる人々がバンドを酷評するのは日常茶飯事で、それが肯定的な意見だろうが否定的な意見だろうが、みんな言いたいこと言ってるんだよね。お手々つないで皆でゴールインみたいな提灯記事しか書けない『DOLL』は、音楽ジャーナリズムでも何でもないんだよな。2ちゃんねるの諸君、今度から『DOLL』のことを「提灯」の隠語で呼ぼうかw。行川は、しょっぱいから「塩」川でいいよwww。
ところで、次のエピソードは、英国人的ユーモア(?)というか汚いというか、本当にこんな習慣があったんでしょうか? 実際にロンドンでリアルタイムで見たことのある大貫憲章先生に、ぜひお伺いしたいところですけど(苦笑)。
・・・1978年の2月、ジョー・ストラマーは、客の吐いた痰の固まりを飲み込んで血清肝炎になるという最悪の事態になった。演奏者にたいする感謝の気持ちとして痰を吐きかけることが、正しいパンクの観客のあり方だと考えている客を相手に演奏しなければならないパンク・バンドの宿命のようなものだった。この忌まわしい習慣は、ロキシー・クラブで発生したものらしく、あっというまに、ニューヨークのCBGBにまで飛火することになった。ジョーはこの一件について、ロザリンド・ラッセルにこういっている。
「今までに何時間、唾を吐きかけられてきたかと思うと、ぞっとするよ。シャツについたやつが乾くとバリバリになってさ。口に入るのを防ぐのは不可能だよ。それにギターについたやつに気がつかないで、手でこすっちゃったりするしさ・・・最近じゃ、飛ばしたやつを見つけたら、お返しすることにしてるんだ」・・・
次の引用は、人類のロック史に残る偉大なアルバム、"London Calling"に関する有名な逸話です。
・・・クラッシュとガイは意気投合、あっというまに、アルバム2枚分ができあがってしまった。これはやがてクラッシュにとって悩みの種になった。彼らを支えているファンには、ダブル・アルバムを買えるほどの金銭的余裕のある者はいないからだ。CBSと協議の末にまとまったのは、(原価を下げるため)2枚のレコードを1枚のレコード・ジャケットに入れ、5ポンドの定価で販売するという妥協案だった。・・・
『パンクの逆襲 RETURN OF PUNX』という本に掲載されていた、同アルバムの日本発売広告(『音楽専科』 1980年2月号に掲載)を見たのですが、「日本盤特典 2つ折ジャケット ポスター付(ペニースミス特写 初回プレスのみ) 2枚組全18曲¥3,500」って、アーティスト側の意向を完全に無視してるじゃないか(苦笑)。おい! ちょっと待てや! 何してくれとんねん、EPIC/SONY INC.の担当者! 調べてみたら、1980年の大卒初任給が114,500円ですので、1980年の¥3,500は、単純に2倍して現在の貨幣価値に直しても、何と¥7,000! 結局、日本のレコード会社というのは、昔から殿様商売で、大して嬉しくもない余計な日本盤特典を色々付ける代わりに人件費その他の名目でピンはねして、ファンの懐から搾取してきたに過ぎないということです。こんな腐った体質が脈々と受け継がれてきて、尚且つ輸入盤が規制されるんだから、この国の文化的活動に未来はありませんね。
・・・ブラックヒルがまずクラッシュの代理人として取りかかったのは、政治的なイメージが濃厚な(『ルード・ボーイ』と改題されていた)クラッシュのセミ・ドキュメンタリー映画の上映をやめさせることだった。政治とは無縁のハード・ロック・バンド、というクラッシュの新しいイメージを作るには、過去がお荷物になるからだ。ところが、クラッシュのメンバーは誰一人としてこの映画に関する契約書を持っていないというのに、ミンゲイとヘイザンの両監督には、バーナード・ローズの署名入りの契約書がわたされていたことが判明。さらにローズのマネジャー時代、メンバーが、映画の撮影期間中、給料としてわたされた小切手を換金していたこともわかり、手の打ちようがなくなってしまった。3年後の1980年3月、この映画は、ロンドンのプリンス・チャールズ・シアターで公開されたが、サウンド・トラック盤はついに発売されなかった。・・・
バーナード・ローズというのは、The Clashの一番最初のマネージャーで(The Griffinの曲名にもありますよね)、The Clashと喧嘩別れしてまた復帰したりするんだけど、『ザ・クラッシュ 1982 ジャパン 菊地昇 写真集』 菊地昇 (著)の今野雄二氏によるトゥアー・リポートにも書いてあったけど、やはり、『ルード・ボーイ』というのは、バッタ物に近い映画だったみたいだね。
この本は、近所の図書館で取り寄せるか、もっとましなThe Clashのヒストリー・ブックが違う日本の出版社から発売されるのを待つか、待てなければ英語で発売されている別のものを色々と探して自分で試してください。はっきり言って、3,500円の価値はありません。そんな法外な金額を支払う必要はありません。
"The Clash (Modern Icons)" By Paul Du Noyer & Paul Du Noyer
"The Complete Richard Allen" By Richard Allen
"Congratulations: You Have Just Met the I.C.F." By Cass Pennant
"Crass Art and Other Pre Post-Modernist Monsters" By Gee Vancher
"England's Number One" By Paul Dodd & Iain McNee
"Folk Devils and Moral Panics: The Creation of the Mods and Rockers" By Stanley Cohen
Book Description
This third edition will publish on the 30th anniversary of its original publication. Stanley Cohen's study of Mods and Rockers in the 1960's was a foundational text both in terms of investigating the workings of subcultural groups and identifying the concept of a 'moral panic' generated by the media, which lead to groups being vilified in the popular imagination, and inhibits rational debate about solutions to the social problems such groups represent. Cohen's classic study of 'deviant' subcultures and the 'moral panic' they generate is reissued with a new author's introduction commenting on the demonization of asylum seekers (refugees) and on the recent 'name and shame' campaign against pedophiles.
About the Author
Stanely Cohen is a Professor at the London School of Economics. He was professor of Criminology at the Hebrew University in Jerusalem. His books include Escape Attempts: The Theory and Practice of Resistance to Everyday Life (with Laurie Taylor, 1976) and Against Criminology, (1988).
『四重人格』
ピート・タウンゼント (著), 大橋悦子 (翻訳)
(晶文社)
私は、この本は、てっきり映画、『さらば青春の光(Quadrophenia)』の原作かと思ってワクワクしながら読んでみたのですが、期待外れもいいところで、訳者が「訳者あとがき」の中で「なお、本書のタイトルは、ザ・フーの同名のアルバムおよび映画とは直接関係が無いことをお断りしておく」と断っているように、ピート・タウンゼンドの持つ変態性欲をモチーフにした、キューブリック並に難解で、ソフトコアな官能(エロ)小説でした(笑)。
この本の原題が"HORSE'S NECK"なんですね(笑)。これの何処が『四重人格』なんじゃいと出版社にクレームつけたいところですが、きっと、『四重人格』のイメージで売れば馬鹿な日本人が食いついてくるだろうということで、こんな安直な邦題にしたのでしょう。しかし、よく英語のタイトルに全く関係の無い邦題をつけて売り出す手法があるが、それと同じで、はっきり言って詐欺ですよ、これ。JAROに訴えましょう。
書いてある内容は、ピート・タウンゼンドって、こんな危ない人だったのかと思うような(笑)、常人には全く理解不能であろう、精神異常者が書いた日記みたいな感じです。後のピートの児童ポルノ閲覧事件にも繋がるような変態性欲が露にされています(笑)。猥褻と芸術の境目スレスレというか、『チャタレイ夫人の恋人』の時代だったら、確実に発禁でしょう。
普通に生活している人は読む必要の無い本です。盲目的なピート・タウンゼンドのファン、ミーハーな馬鹿ガキ、あるいは時間とお金を無駄にしたい方だけどうぞ。
『オレはセックス・ピストルズだった』
グレン・マトロック(著), ピート・シルヴァートン(補筆), 岡山徹(翻訳)
(音楽之友社)
原題は、"I Was a Teenage Sex Pistol" By Glen Matlock with Pete Silverton。まず、私は、どちらかというとクラッシュ派であり、セックス・ピストルズというと、そこらのミーハーなガキのホームページでもネタとして取り上げられていたり、下手するとメタル・サイトでもレビューされていて、あまりにも当たり前過ぎて面白くない。私がレビューしなくてもきっと誰かがやってるだろう、他人と同じことはしたくねえよという考えで意図的に避けてきたが、この本は、王道を外れていて、そんな捻くれた性格の人間には持って来いだと思ったので選んでみました。本当はジョン・ライドンの自伝、『Still a punk』のほうを先にレビューするべきだと思うんだけど、10年前に既に読んでしまっているので、倉庫から引っ張り出してきてレビューを書くなどという、そんな後ろ向きなことはしたくないよということで、後回しにします。
皆さんは、グレン・マトロックと聞いて、どういうイメージを持っているでしょうか? セックス・ピストルズの初代ベーシスト。一人だけ不良キャラじゃない地味な、さえないルックスの男。後釜シド・ヴィシャスの強烈過ぎるキャラクターのせいで、印象が薄くなってしまった男。ビートルズが好きだという理由で首になった男(まあ、これはマルコム・マクラーレンが勝手に作った演出なのだが)。後に彼が作ったB級バンド、リッチ・キッズ・・・。まあ、ぶっちゃけ、正当な評価はされていませんわな。
この本は、その過小評価されている著者による半生記というか、言い訳というか、「セックス・ピストルズの真実」というか、よく芸能人が出版するような暴露本の類です。基本的に、セックス・ピストルズとその取り巻き連中に関する裏話が書いてあるのは言うまでもないのですが、そこはさすがセックス・ピストルズだけあって、知性の乏しい低俗な与太話と猥談で構成されています(それでも著者は大学へ行こうと思えば行けるほどの優秀な成績だったらしい)。
しかし問題なのは、駆け出しの翻訳家が訳したみたいな、血の通っていないセリフ棒読み調の単調な翻訳文なので、いまいちリアリティが感じられないところです。読んでいて苦痛になってきます(苦笑)。ロボットが訳したみたいな無味無臭な日本語の文章なので、後で参照する際に何処に何が書いてあったのかが全然わからない。素人仕事だね、これ。翻訳の限界というか、やはり、変な小細工無しに、英語は英語で読まなければならないですね。
それはさておき、いくつか面白いエピソードがあったので紹介しようと思います。
・・・ラットブローク・グローブから一本違いの道にあるケンサル・グリーン。僕が育っていくうちに、ここは黒人の移民が最初に押し寄せた地区の一つになった。ほとんどが西インド諸島からの移民だ。通りを歩けば、窓から必ずといっていいほどブルー・ビートの音楽が流れてきた。
僕たちは、よくスカタライツというバンドのバンド・リーダーと通りでフットボールをやった。誘いだせるときだけだったが。彼の名前はよく覚えていないけど、そのバンドにとっては大した新米だった。彼らには「ナバロンの要塞」といっしょにヒットした唯一のヒット曲があったし、彼らがちっちゃなクラブ専門にクラブ回りをする頃には、彼はラップ的な司会をやるまでになっていた。・・・
セックス・ピストルズの世代にとっては、ステレオタイプと言うか、ジョー・ストラマーもジョン・ライドンも多かれ少なかれ、こういったルーツ・ロック・レゲエ体験を共有しているのだが、有りがちなパターンですね。しかし、そこが逆にネックになって、これは小説風に脚色しているんじゃないかとも思ってしまうのですが。
・・・そこに住んでた頃の僕たちは、すかんぴんもいいとこで、朝起きるとキットカットを一個買って、朝飯代わりにツー・フィンガー分食べ、夜に残りのツー・フィンガーを食べるのだ。一日の食事はそれだけだった。
その頃になると、僕はセント・マーチンズをやめていたから、奨学金もくそもなかった。僕は失業手当てで何とか食いつなぐしかなく、その金も出た日にはもう消えていた。だからキットカットが精一杯だったのだ。・・・
メープル・シロップ味のポッキーを主食とする「銭金」に登場した某氏も真っ青な貧乏メニューですね(笑)。やっぱさ、サラリーマンでありながら自称パンクの、どっかの中途半端な「ドキュソOi一座の親方」と違ってさ、食うものにさえ困るようなハングリー精神がないと本当のパンクなんて構築できないよな。なあ、ここ見てるか、『DOLL』に「おんぶに抱っこ」状態の時代遅れな親方さんよ(笑)。
・・・シドはコップを投げ、もう少しで女の子を失明させるところだった。ダムドのドラマー、ラット・スキャビーズが観客に唾を吐きはじめた。観客もそれに応戦した。こうして、唾吐きの偉大なる伝統が生まれたのだ。それ以後、何年かの間、プレイをするたびに、鼻からピーナッツ・チョコレートの食べかすが下がるわ、ポケットのなかに痰の塊まりが入ってるわ、それこそ唾だらけになってステージを降りることになる。・・・
『クラッシュ伝説 THE CLASH』 ジョン・トブラー&マイルズ (著)の中で登場した唾吐き合戦の真相がここで解明されました。そういえば、『パンクの逆襲 RETURN OF PUNX』というネタの宝庫に、「憲章が案内する これがPUNK ROCKだ!! 話題のパンク・ロックについてちょっと検討」という失笑物タイトルの記事が復刻されているのだが、「そのパンク・ロックを、ロンドンでじっくり見てきた大貫憲章クンにつづってもらった」のはいいのだが、駄目じゃないか大貫憲章クン、しっかりと日本のファンに唾吐き合戦のことを伝えなくては(苦笑)。
・・・ところが、僕は横槍を入れた。スティーブは、俺はギタリストなんだぜ、パブにでも行けよ、静かに俺にやらせてくれ、と言った。まったく、そのとおりだ。で、僕はドアを開けて出ていこうとしたのだが、ドアのところに屈みこんで誰がいたと思う? フレディ・マーキュリーだったのだ。ああ、トイレはどこかな? とか言って、彼はごまかした。
一か月もここにいたんだろ、フレディ、トイレの場所も分からないのかい?
すると彼は、そうだな、そうだよ、オーケー、オーケーと言った。
言うまでもなく、彼はドアで立ち聞きをしていたのだ。いったいパンクとは何なんだと、様子を見にきていたのだろう。彼のバンドみたいな前世紀の遺物バンドを破壊しにやってきたと彼には聞こえただろうし、彼は将来の暗殺者の下見に来ていた。・・・
これギャグだろ? 日本には親父ギャグとか称するものがあるが、きっとイギリスでは、フレディ・マーキュリーは、おっさんのギャグに使われるネタでしょうね(笑)。
・・・正直言うと、僕はその頃になると、完全にピストルズの他の連中から村八分にあっていた。当時は、そんなにはっきりとは言えなかったのだが。きっとミック・ジョーンズと仲良くなったのが悪かったのだろう。バンドの仲間と仲たがいしたもともとの原因は、全部ミック・ジョーンズとのことが原因だった。
嘘みたいに聞こえるかもしれないが、それが真相なのだ。そんなふうになるものだ。おそらく、そういう人間関係の軋轢は、僕たちのグループとしての可能性よりも重要になってしまった。きっとツアーに出て、ホテルに缶詰になっていたせいで、すべてが持ちあがったのかもしれない。普通だったら、こんなことにはならなかっただろう。異常な生活だ。・・・
この個所は何度読み返しても理解不能なのですが、合同でツアーする際に、他のバンドのメンバーと仲良くなるのは近親憎悪(相姦?)的な意味合いで御法度だったのかな? 全部、ミック・ジョーンズが原因だったとは、とてもじゃないけど考えられないんですけど。
・・・僕はバンドを抜けて、それでほんとに良かったのだろうか? いや、間違いだった。僕は自分勝手だった。もっと我慢すべきだったのだ。経済的な理由でではなく、たとえ経済的な問題があったとしても、当時の僕はそんなこと考えもしなかっただろうし、そうではなく、いったん何かをはじめたのなら、最後までその仕事をやり遂げなくてはいけないからだ。
しかし、その当時はそんなことは分からなかった。なぜなら、ロック・バンドにとって、仕事をやり遂げるとはアメリカに殴りこみをかけることだったからだ。ほんとの力をつけるには、アメリカをものにしなければならない。それをやれば、何かを成し遂げたことになる。イギリスでお茶の間を賑わすのもそれはそれでけっこうなことだが、広い世界では通用しない。僕はオーストラリアに行ったときのことを覚えている。まるで何かの標本のような扱いだった。海峡を泳いで渡った人間か、サーカスの小人ぐらいの扱いだった。・・・
この個所は「井の中の蛙」的な日本のバンド達、特に内弁慶なThe Griffinに聞かせてやりたいと思ったね。イギリスのバンドというのは、クラッシュみたいに成功するか、セックス・ピストルズやジャムみたいに成功しないかどうかは別として、まずアメリカに進出するんだよね。英語という共通言語を持っているから、かつて宗主国だったからとか、色々イギリス人にとって有利な面もあるとは思うけど、それはアメリカが世界に誇れる文化が映画と音楽だけしか無くて、エンターテインメントの本場だからなんだよね。例えば、我が国にはThe Modsという検索する際に紛らわしい名前のバンドがいるが(笑)、彼らはアメリカに進出するかどうか迷った際に、結局、日本に留まることを選んだんだよね(『エンゼル・ウィズ・スカーフェイス』 森山達也 (著), 宝島編集部 (編集)を参照)。The Griffinは残念ながら、そこまで行っていなかったよな(苦笑)。日本のアーティストに欠けているのは、こういったハングリー精神というか上昇志向なんだよね(まあ、多事争論の「ホテル英國館」という記事の中で、私は、日本人がアメリカに進出する際には人種的偏見という障壁があるのではないかということを書いたんだけど)。
この本は、The Griffinの名曲、"Bernard Rhodes"の歌詞を読んで、その世界観に興味を持った人は読んでみるといいかもしれません(この本の中でもバーナード・ローズは大活躍しています)。それ以外の人間にとっては価値の無いものかもしれませんね。値段を釣り上げて売っている手合いがいますが、間違っても定価以上の値段で買う代物ではありません。さて、次はマルコム・マクラーレンの本でも読んでみるかな(笑)。
『ポール・ウェラー マイ・エヴァ・チェンジング・ムーズ』
ジョン・リード (著), 藤井美保 (翻訳)
(リットーミュージック)
「ザ・ジャム」、「スタイル・カウンシル」、「ポール・ウェラー」と続く、ポール・ウェラーの栄光と苦悩、挫折の日々を、ジャーナリストが膨大な量の資料を元に分析して書き綴った本です。従って、ポール・ウェラー本人は直接関わっていません。第三者の目から見た公正なものとなっています。アマゾンのカスタマー・レビューで、「作者のJ・リードはポールに近しい人なのでジャム時代の記事はややポール寄りの所は有りますが・・・」などと、いい加減なことを書いている馬鹿がいますが、多分、ポール・ウェラーお抱え作家のパオロ・ヒューイット(Paolo Hewitt)と混同して勘違いしているのでしょう(この本は飽くまで、『ポール・ウェラー』というタイトルであるから、ジャム時代の記事がポール寄りなのは当然なんですよ。ちょっと考えれば分かることなのに。頭悪いなあ、こいつ)。
小さい活字でニ段組で書かれていて分量が多いので、全部読み終わるのに滅茶苦茶時間がかかりました。多分、一ヶ月以上かかるんじゃないのかな。手に取ってみるとよくわかるのですが、かなりの重量感です。翻訳本というのは訳者が下手だと、ともすれば血の通わない翻訳調の文体に陥ってしまうのが常ですが、訳者(藤井美保)が上手だったせいか、読みやすい自然な日本語の文体になっています。ただ、さすがに文章の量が膨大なので、最後の方は疲れてきて(?)、一部、日本語の変な個所がありますけどね(笑)。
ポール・ウェラーの半生が、British Youth Cultの歴史そのものであるから、しかも、ポール・ウェラー自身、顔が広くて音楽性が豊かなので、あれやこれや有名なバンドの名前や曲名、その歌詞の内容や意味、著名人の名前が次から次へと出てきて、読者を飽きさせません。彼を「モッズ」などという狭い範疇でくくることが如何に愚かなことか。
しかし、最大の感心事は何と言っても、彼の地には真の「言論の自由」や「音楽ジャーナリズム」が存在していることでしょう。如何に音楽業界が成熟していて含蓄に溢れているかを思い知らされます。ポール・ウェラーは、辛辣な社会批判を込めた、政治的な曲を書き、大手音楽雑誌の評論家と呼ばれる人たちは、常に容赦無くポール・ウェラーを酷評する。しかも、「ファン雑誌」と呼ばれるものが昔から数多く存在していて、これもまた容赦無い批判をポール・ウェラーに浴びせ掛ける。彼の地の音楽業界は、四六時中「真剣勝負」、「シュート活字」なんですよ。
それに引き換え、我が国の体たらくと言ったら。パンクは『DOLL』が独裁政治で牛耳っていて、エセ評論家が当り障りの無い提灯記事を書いて小金を稼いでいるだけ。世間知らずなファンは、それが当たり前だと思って、自分達で代わりの雑誌を作ることすら考えつかない。たとえ作ったとしても、日本のパンクは狭い「ムラ社会」で「恐怖政治」なので批判ができない(涙)。「ファンジン」とは名ばかりで、レーベルのPR雑誌か、自ずと自分達が忌み嫌う提灯記事だらけの『DOLL』と同じ物が出来上がってしまう。そんな骨抜きにされた我が国の幼稚なパンク村とは大違いだということを痛感させられました。
それに核廃絶やアパルトヘイト撤廃、炭坑労働者のためにチャリティ・コンサートを開いたりと、イギリスではロック・ミュージックと政治運動が密接に結びついているんだよね。自分達の小遣い稼ぎの為だけの「オナニー・ショー」を繰り返している日本のバンドには決して真似のできない、本物のロック・ミュージックの息吹がそこにありました。
さて、日本人は、個人的信条に照らし合わせて物の良し悪しを判断できない、基本的に「イギリス」「英国」と名の付くものならば何でも有り難がる、盲目的英国礼賛な、アホな国民ですから、「ここ、日本でポール・ウェラーが常に絶大なる人気を誇っている」というのも分からないでもないのですが、日本に関するエピソードで、こんな面白いものがありました。
・・・さらに首をかしげたくなるような事件が起こった。1990年4月に、日本のテレビ番組『ヒット・スタジオ・インターナショナル』の生中継のために、スタイル・カウンシルが一時的に再結成されたのだ。おそらく出演料が相当な額だったのだろう。メンバーはロンドンの撮影スタジオに集まって、お蔵入りになったシングル「シュア・イズ・シュア」を口パクで歌い、さらにウェラーは「ザ・ホール・ポイント」をライブで歌った・・・
「口パクで歌い」だってよ。日本人は完全に舐められているよな(笑)。これと似たような事例を、私は「さらばドキュソOi」という論文の中で資料として紹介したと思うけど、
・・・『ロスト・イン・トランスレーション』主演のビル・ラリーによれば、日本のインスタント・コーヒーのコマーシャルに出ているハリソン・フォードやケビン・コスナーは、「どうかこのコマーシャルはアメリカでは放映されませんように」と祈っているみたいな顔をしているという。ジョディ・フォスターやブラッド・ピットなどの「本格演技派」を自負する俳優は、本国では気に入らない二流映画にさえ出演しないのに、日本の金には平気で魂を売り渡している。彼らの顔はこう言っているように見える。- "I wouldn't do this in my own country because people would laugh at me, but I don't really care what these little oriental folk think."(こんなことをしたらみんなに笑われるから自分の国ではやらないんだけど、東洋の小さい連中がボクをどう思うかなんて気にしないさ。)・・・
『イギリス発 日本人が知らないニッポン』 緑ゆうこ(著)より
まさに、こんな出稼ぎ感覚で「スタイル・カウンシルが一時的に再結成された」んでしょうね(苦笑)。いい加減、目を覚ませ日本人。イギリスに奇妙な片思いをするのは、もうやめようや。惨めなだけだよ。
巻末には、ご丁寧にもポール・ウェラーが生まれ育った「英国サリー州ウォーキング」の詳細な地図(場所を分かり易いように言うと、ヒースロー空港の下の辺り)と全ディスコグラフィーが載っています。『地球の歩き方』には掲載されていないので、きっと小さな田舎町なのでしょう(しかし、『地球の歩き方』編集室より地図が詳細だというのは皮肉だね)。日本にも、こんなの見て実際に訪れる、根性のあるファンがいるのかな?
さてと、次は、ザ・ジャム解散後、他メンバーとの間の金銭トラブルで発生した遺恨が少なからず顕れているという(?)、例のパオロ・ヒューイットの『ビート・コンチェルト ザ・ジャム・ヒストリー』でも読んで、この本と比較研究してみるかな(笑)。
"Smutty Smith's Archive Rockabilly Photograph - KATS TATS CARS AND CREEPERS" By Smutty Smith(白夜書房)
The RockatsというRockabilly Bandの、Smutty Smithという人物が編著した(らしい)写真集です。最初、英語の原書があって、その日本版かと思ったのですが、そうではなくて、まったく日本サイドで企画して作成された物のようです。従って、この本は日本国内でしか販売流通していません。Smutty Smith本人の、この本についての思い入れは、自身のWebsiteで、「日本ファンのため(怪しい日本語だよな)」と題して語っているので読んでください。
Teddy BoysやRockers、Rockabilly、The Rockats、Stray Cats、50年代風白人女性、Hot Rod Cars、Tattooなどの写真は勿論のこと、Rockabillyの大まかな歴史と概要、The CrampsやBrian Setzerのインタビュー、「The Cockney Rejects at Hammersmith Odeonを見に行ったら、3,000人のSkinheadsがいて、あわや暴動に巻き込まれて殺されそうになったよ」というBrian Setzerの与太話などが、英語とその日本語訳で掲載されているんですけど、字が細かすぎて読む気無くします。インタビュー記事の一部は背景の写真と同化していて見えないし(これじゃ写真だけで良かったんじゃないの?)、さらに酷いことに、呆れるほど初歩的な英語の綴り間違いが多数見受けられます。英語の綴りもろくに書けない低能児が編集しているんですか、この本? LとRを間違えたり、"Dansing"って何だ? "Dancing"の間違いか、え? あと、TranslatorのYukako Millar、Touru Yanase、Rui Shimamotoって、プロの翻訳家か? "Bullshit"だとか"Wanker"だとかの卑語がある個所を意図的に削ったり、こんな粗雑な日本語翻訳、明らかにお金を取れるプロの仕事じゃないわな(失笑)。私みたいな英語センスのある人間が読むと、その稚拙さがいちいち鼻についてムカムカしてきます(おそらく日本の洋楽ビジネスのレヴェルって、この程度のものなんでしょう)。こんな、ぎこちない本、全然英語の勉強になりません。
出典不明な海外の書物から写真をパクってきて、寄せ集めて勝手に編集して一冊の本にするのは、Burstさんのお得意の手法だとは思うが、前書きで誰かが自負している「ロカビリーの詳細なる歴史書」としては作りが安っぽくて中途半端です。例えて言うならば、出来の悪いエロ本を見ているようでした。欲張って、あらゆるRockabillyに関する写真・記事を一冊の本にぶち込んだのはよかったが、多芸は無芸というか、どれも中途半端に終わっていて明かに失敗作です。この本、Smutty Smith本人が、ちゃんとチェックした後で出版しているのかね? 私には、Smutty Smithが資料を提供して後はお好きにどうぞと、名前を貸しただけのような気がしてならない。
"Rockers" By John Stuart
Book Description
The mean and moody leather boy on a thundering bike is one of the strongest, most potent images of popular culture. Rejecting stereotyped bourgeois conformism, rockers crystallised a youth style. This book is about that epic style, evolving from a cross-fertilisation of influences, a love affair with bikes and speed, and a British interpretation of American 'glamour'. All this took on a new perspective with the eruption of rock'n'roll.
Streamlined drainpipe jeans and clean-cut leathers were tailored for the sleek, throbbing British 'iron' and the gutsy music. All were elements of the style, reflecting a raw edginess, a studied cook, a search for excitement, a hint of sex and even of violence. This style survived Mods and flower power, not even eclipsing before today's long-haired 'bikers'.
To explain the myth and magic, the author looks at dream machines, the original heroes and, above all, the ton-up boys themselves. Why the cult endures is encapsulated in the photographs. Rare and eye-catching they explain the enduring fascination of rocker culture.
"Saturday's Heroes" By Joe Mitchell
Book Description
The world of football hooliganism, as in the best traditions of pulp fiction, Paul West and his skinhead crew battle with casuals, other skinheads, and rival supporters.
"Scooter Boys" By Gareth Brown
Book Description
From the post-punk, massed Mod revival of the 1970s, there emerged an almost organic cultural collective --- Scooter Boys. With an underlying musical focus on Northern Soul and R&B, these scooter boys developed a passion for steamy all-nighters, fueled by a fast, absorbing and intrinsically nomadic lifestyle. They gathered in their thousands at an array of coastal resorts all over the British Isles (and beyond) for all weekend parties, making their own rules and their own enemies. The cultural icon at the epicenter of this phenomenon were the Italian motor-scooters which mobilized this unique way of life. In the 1990s, yet another string was added to the bow of scooter culture, courtesy of artists such as Oasis, Ocean Colour Scene and Cast. These bands, along with the already scooter-credible Paul Weller, helped fuel a new generation of scooter-loving individuals.
From the Publisher
Gareth Brown is widely regarded as the leading world authority on scooter culture. His writings on scooter culture have been published in magazines throughout the world and a signed scooter he once owned sold for £10,000 in Japan
"Skin" By Peter Milligan & Brendan McCarthy
Book Description
SKIN - The raw controversial story of a Thalidomide victim.
SKIN - An angry and violent book, a tragedy shot through with bitter humour.
SKIN - is Martin Atchitson's story: some of his mates called him a spatic - most of them called him Martin 'Atchet. He was a SKIN
SKIN - Banned before publication. Rejected by other publishers who thought it 'Too Disturbing'.
SKIN - is the most important comic book you will read this year.
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